送還船は、富山浦(プサンポ。今のプサン)で、被虜人(ひりょにん)となっていた人々の大半を降ろした。
その船を護衛してきた李穡(イ・セク)たち一行の船は、それを見届けると再び乗船し、西へと進路をとった。
いくつかの小島をすぎてから、太郎は船が再び陸地に向かっているのを察した。
船の楼上に二人の人物が進路を見つめている。イ・セクと太郎だ。
「開京(ケギョン)に向かうのではないのか?…」と太郎が独り言のようにつぶやく。
「王様への使いは富山浦(プサンポ。今のプサン)から早馬で伝令を都へ向かわせてある。俺たちの役目はひとまず終わった。少しくらい寄り道をしてもよかろう」とイ・セクは言った。
この几帳面な男にしては珍しい物言いだな、と太郎がいぶかっていると、いつか見た光景が眼前に迫ってきた。
両側を山に囲まれた深い入り江…その先の奥に覚えのある港が見えてきた。
数年前、水手(かこ)のひとりとして海賊働きに駆り出されたとき、一番はじめに見た高麗(コリョ)の港だ。
太郎は思わず声を発しそうになった。
「ようやくわかったか。タラよ」とイ・セクが前方を見たまま言った。
「合浦(ハッポ)か…懐かしいのう」気がつくと、成文徳(ソン・ムンドク)もいつの間にか楼上に上がってきていて、その港の光景を眺めている。
「この一帯の沿岸警備を任されている司令官殿が、成文徳どのとタラにぜひ会いたい、とおっしゃっているのでな」とイ・セクが二人をかわるがわる見た。
「ここの司令官だと?…俺には面識はないが」と成文徳がイ・セクを見てけげんそうな顔をする。
「あなたが、都で育てた武士(ムサ)の一人ではありませんか。文徳(ムンドク)どの。金竜(キム・ニョン)とかいうお名前らしい。タラにとっても縁のある御人(おひと)とか。まあ、それぞれ積もる話もあるでしょうに」
そうイ・セクは言うと、いたずらっぽく笑ったのだった。
開京(ケギョン)へ帰還してしばらくしてからのことだった。
東北面奪還作戦を最終的に煮詰めるための内密の会合でのこと。太郎が提案する策が物議をかもしだしていた。
「船兵千人と搖櫓人(ようろにん)四百人を貸してくれ、だと?…」イ・セクが驚いて。「何をもくろんでいる、タラよ」
「元朝の注意を本国からそらすためだ」と太郎が言った。
「いったい、どこを攻めるというのだ?」とイ・セク。
「遼東半島の東岸に元軍の水軍基地があるだろう?」と太郎。
「何を言い出すかと思えば唐突な! 水軍の将でもないお前に何ができるというのだ!」とイ・セク。
「東北面の奪還作戦を効果的にすすめるためだ」と太郎も引かない。
「いいか、タラ。元朝(げんちょう)、衰えたりといえども、お前の素人考えが通用するほど甘くはない。聞かなかったことにする」とイ・セクも引き下がらない。
「まあ待て」と、その二人のやりとりをじっと聞いていた成文徳(ソン・ムンドク)が言った。
「確かに素人考えかもしれぬ。しかし一理ある」
「文徳(ムンドク)どの! あなたまで無謀なもくろみに同調するのか?」とイ・セク。
「いや、目の付けどころは悪くない。わが国東北面に接する丹東や遼陽に駐屯する元軍の注意をこちらに引きつければ敵の勢力を分散できる。しかるに、双城(サンソン。現・永興(ヨンフン))奪還作戦を有利に進めることができる」と成文徳。
「私は武人ではない。しかし、それが無謀であることぐらいはわかる」とイ・セク。
「無謀といえば、先だっての対馬島(テマド)行きも同じこと。虎口に入らずんばなんとやらだろう」と成文徳(ソン・ムンドク)。
「あれは王様の命でもある。それに南方方面の憂いをなくすという意味があったのです。混同は困ります」とイ・セク。
「南岸の要衝、合浦(ハッポ)には金竜(キム・ニョン)がいる。万一、テマドの宗氏が倭賊を抑えられなくとも、あの男に任せておけば大丈夫だ」と成文徳は拳(こぶし)でじぶんの分厚い胸を叩いた。
「金竜(キム・ニョン)どのの、将としての力量をみくびるわけではないが…」とイ・セク。
「まあ、聞け。イ・セク殿」と成文徳は言い、「望海堝(ぼうかいか)の沖合にたくさんの島々があるだろう?」
「元領の長山(チャンシャン)群島か。あそこはテマドと同じく海賊の根城だ」とイ・セク。
「彼らを味方につける」と成文徳は言い切った。
「あの連中をですか? 元朝についたり、漢人反乱軍についたり、向背(こうはい)定まらぬ連中です。接触するのさえ危ういというのに。第一、連中は信用できませぬ」とイ・セクが言った。
「向背(こうはい)定まらぬからこそ、こちらに取り込めるのだ。やつらとて心から元朝に臣従しているわけではない」成文徳はそう言って、今度は太郎のほうを見た。
「タラよ。八幡船(ばはんせん)は遼東半島あたりまで遠征することもあるんだったな?」
太郎は顔を紅潮させてうなずいた。
成文徳(ソン・ムンドク)はひそかに、長山(チャンシャン)群島に幡居(ばんきょ)する海上勢力の首領、陳(チン)元帥にもと部下を派遣していた。
<偽装船団が通行するのを見逃してくれ。そのかわり、元軍の備蓄倉庫から掠(かす)める米穀類を傘下の島人たちに提供する。>部下には、そういう意向を伝えさせていた。
彼の脳裏には、ひとりの男の顔が浮かんでいた。被虜人(ひりょにん)とされ、対馬へ転売され、塩浜で奴婢(ぬひ)として使役させられていたとき、炎天下で倒れた男を救った。その男の仲間と思われる勢力から連絡があり、互いの素性を明かしあっていた。
対馬の塩浜で窮地を救った男は、長山(チャンシャン)群島の首領の息子だった。どうやら、文徳(ムンドク)と同じく、八幡船(ばはんせん)の襲撃を受けた際、島民をかばって自ら捕虜となってしまったものらしい。漢人ではあるが、高麗の黄海(ファンへ)沿岸部の塩商人たちと密貿易をしており、高麗語になじんでいるらしかった。仲間内の会話も、中国語、モンゴル語、高麗語がまじりあう。だから国というワクにとらわれることがない。
彼らも文徳同様、イ・セクたちの対馬有力者への政治交渉によって奴婢(ぬひ)から解放され、長山(チャンシャン)群島に戻っていたのだ。
対馬から解放される際、彼らは文徳(ムンドク)にこう言ったという。
<このさき、もし助勢が必要な時には遠慮なく使者をくれ。ほかでもない。貴公はかけがえのない若殿の、命の恩人だ。>
文徳(ムンドク)は、最初は彼らを利用するのは迷った。彼らを自分たちの無謀なもくろみに巻き込むのは気がひけたからだ。彼ら海上勢力は紅巾軍(こうきんぐん)など陸上の反乱勢力とも元軍ともどちらについているわけではない。それに、イ・セクたち恭愍王(コンミンワン)のブレーンたちとしても、海賊集団ということで、そういう連中と共同戦線をはるのはいかがなものか…と難色を示していた。
文徳はそんな彼らに進言した。
「確かに、連中は食うためには海賊行為にも及ぶ。だが義理がたい。世襲で将軍になっている連中よりはずっと頼りになる」と。
しばらくして。長山(チャンシャン)群島に派遣した使者が開京(ケギョン)に戻ってきた。そして使者は成文徳(ソン・ムンドク)やイ・セクたちを前に報告した。
「先方もいずれ元朝とはこうなると腹をくくっていたようです。生き残るには避けられぬ戦いだと。ゆえに合力(ごうりき)を決した、とのことです。それに…」と使者はつづけて、「彼らは交易で元(げん)の都や江南地方の商人とも付き合いがあるそうですが、最近、元朝が発行している紙幣の流通が止められたということです。遠からず紙くず同然となるようです。元朝の先はもはや見えた、と陳元帥は仰せでした」
「お聞きの通りだ。イ・セク殿、貴殿なら必ずや王様を説得できると信じている」成文徳(ソン・ムンドク)は、その場に居並んだ恭愍王(コンミンワン)のブレーンたちを前にして一人ひとりの目を見据えた。
「まったく…こういう御人(おひと)だ。やめろと言っても聞くまい…」イ・セクは大きく息を吐き出し、太郎の策に同意した。(つづく)
『多羅倭人伝(たら・わじんでん)』のエントリ


