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多羅倭人伝 :: 《9》

  • posted by: uro
  • date: 2009/09/27 AM12:09 (日)

 対馬の国府(現・厳原(いづはら))に滞在していた高麗(コリョ)からの使者は、黒瀬道教(くろせ・どうきょう)の手配で宗家(そうけ)配下の水軍に護衛され、対馬島中央の浅茅湾(あそうわん)に移動してきた。
 その北側に位置する分家、仁位宗氏(にいそうし)の館にて。
 館の客間に通された使者は李穡(イ・セク)と太郎だった。太郎も冠、衣服とも高麗王朝の正式な官服を身にまとっていた。対馬で生まれ育った人間とは誰も気がつかないほどになじんでいるようだ。
 「開京(ケギョン)の都からの船旅でさぞお疲れでしょう」仁位宗氏(にいそうし)の通訳担当が高麗(こうらい)の言葉でねぎらう。
 「倭語(わご)で構いませんよ」と若いほうが言った。太郎である。
 しばらく待たされた後、一行が通された別の部屋には、すでに三人の男たちがいた。
 すすめられるままに着座すると、通訳担当の男が一人ひとりを紹介した。
 「仁位の殿(にいのとの)」と呼ばれる宗頼次(そう・よりつぐ)。
 今回の会談をセッティングした黒瀬道教。
 そしてもうひとり、壮年の男がいた。イ・セクよりもひとまわりぐらい年長者とみえた。島民と変わらない衣服を着ている。島内の塩浜で働いている被虜人(ひりょにん)で、しかも高麗朝廷に仕えたこともある元・武官であることを知りイ・セクたちは驚いた。
 対馬側の通訳担当の紹介の後、自ら高麗ことばで自己紹介した。
 それによれば、かつて忠定王(チュンチョンワン)に仕えていたという。忠定王は恭愍王(コンミンワン)の前の国王だ。
 彼の名前は「成 文徳(ソン・ムンドク)」といった。
 「ご使者からの要件は書状にてすでにうかがっておりますが、今一度、確認しておきたい。のう? 仁位(にい)の殿」と黒瀬道教が言った。
 道教から”仁位(にい)の殿”と呼ばれた男は、イ・セクと太郎のほうを見てから、通訳を介してこう言った。
 「書状は私も読ませていただいた。土産物も受け取り申した。とりわけ、高麗(こうらい)のハイタカは対馬でもめったに手に入らぬもの。あの武骨者の、国府(こくふ)の兄上も、ことのほかお喜びでござった。それに、島民たちにとっては米や穀物、木綿はありがたい。ご覧のように、この島は耕地に適した土地が乏しい。貴国との交易こそが命の綱じゃ。一日でも早い正式な交易再開を願いたいものじゃ」
 「わかりました。今のお言葉、そのまま王様にお伝えします」イ・セクは言い、
 「ところで、ここ数年前からわが国沿岸部を中心に荒らしまわっている賊の一部が、わが国各地で労役に服していることをご存知でしょうか?」
 「ほお、それは初耳じゃ」と”仁位(にい)の殿”こと宗頼次(そう・よりつぐ)はそっけない。
 「そうですか…」とイ・セクは応じ、「ちなみに。せんだって島主の経茂(つねしげ)どのと貴方様にお渡しした食料や木綿などの土産物は天から降ってきたものではありませぬ。国難のさなか、わが国の民が額(ひたい)に汗してこしらえた血と汗の結晶と思し召しいただきたい」
 「で、その見返りに何をせよと、いわれるのかな?」と宗頼次(そう・よりつぐ)。
 「元朝(げんちょう)の直轄領にされている耽羅(タンラ)奪還にご協力いただきたい、といったら…」とイ・セクが真顔で言った。耽羅(たんら)は今の済州島(チェジュド)のこと。この頃はまだ元朝の植民地にされていた。
 「なッ、なんと!…」その場に居合わせた人々の表情が固まった。
 「高麗(こうらい)の沿岸を横行している者どもの水軍力をもってすれば可能ではございませんか?」と太郎が言った。
 「むむ…あの者どもはわれら宗家(そうけ)に属する者どもではありませぬ。いわば、われらの統制の及ばぬ連中です」と宗頼次(そう・よりつぐ)が応じた。
 「そうですか。しかし、少なくとも来年いっぱい、対馬(つしま)から海賊働き(かいぞくばたらき)と称してわが国に襲来することは抑えていただきたい」とイ・セクが言った。
 「わかりました。その件については何とかしましょう」と宗頼次(そう・よりつぐ)が応じる。
 「それに加えて」とイ・セクはつづけて、「ここにおられる成文徳(ソン・ムンドク)どのをはじめ、日本で奴婢(ぬひ)とされているわが国良民を送還していただく件をお忘れなく」
 「その件ですが…」と宗頼次は困惑した表情で言った。「私の力の及ぶところは対応できましょう。じゃが…わが領外の各地へ転売されていった人々については対応のしようがござらぬ」
 「各地とはいったいどこへですか?」とイ・セクが質(ただ)す。
 「こればかりは調査をしてみねばはっきりしたことは申し上げられぬが…」宗頼次は言葉を濁し、「おそらく、国内では筑紫(つくし)、西国、畿内あたり。また異国では琉球あたりかと、推察いたす」
 ”筑紫(つくし)”とは、今の九州本土のことを指す当時の一般的な言い方だ。”琉球”は今の沖縄のことだがこの時代は日本の領域ではない。
 「リュウキュウ…」イ・セクは思わず絶句する。
 「つきあいのある元(げん)の商人の話では」と隣りの黒瀬道教(くろせ・どうきょう)が口を開いた。「琉球各地のアジゾイの屋敷には高麗人らしい人々が奴婢(ぬひ)として使役させられているとか、聞き及びます。おそらく賊に拉致され、転売されていった人々でしょう」
 事情通の道教によれば、”アジゾイ”とは、当時の琉球各地域の有力者のことらしい。漢字では”按司添”という字を当てている。
 「ご存じとは思うが」と宗頼次は前置きして、「今、わが国は内乱のさなかです。京の都(みやこ)の周辺は新しい幕府が政権を掌握しているもののまだ不安定。この島を統括する筑紫(つくし)はいっそう事情が複雑です。なにしろ、政治的立場が違えば使用する年号も異なるご時世です。いつぞやは、少弐(しょうに)の大殿への書状をしたためるとき、観応(かんのう)でよいのか、正平(しょうへい)にするか、迷ったほどじゃ」
 「京都にある幕府は正当な統一政権ではないのですか?」イ・セクが質(ただ)す。
 「むろん、京都の幕府こそ正統な武家政権です。しかし中央はともかく筑紫(つくし。九州)においては、幕府方の管領(かんれい)、一色(いっしき)どのとは何かと譲れぬ確執がございましてな。主家の少弐(しょうに)どのも、この私も…」と宗頼次は含みのあることを言う。
 「あなたの主家でもある筑紫の少弐(しょうに)どのは幕府から守護職(しゅごしき)を賜る幕臣(ばくしん)ではないのですか?」とイ・セクは問うた。
 「むろん立場上は幕臣です。しかし兄、経茂(つねしげ)も参戦した鉢摺原(はりすばる)の合戦で、南朝方の菊池党(きくちとう)と組んで一色どのの軍勢を破り筑紫(つくし)から追い出してからは、南朝方の懐良親王(かねながしんのう)さまの臣下でもあるわけで」と宗頼次は言う。
 「……」イ・セクは思わず無言で考え込む。
 成文徳(ソン・ムンドク)は眉間(みけん)にしわを寄せて腕を組んだままだ。
 「時流というものは生き物でござるよ。情況は刻々と移り変わるものです」と宗頼次(そう・よりつぐ)はさばさばしている。
 「ただ、管領(かんれい)がいなくなった今、少弐(しょうに)どのとてよそ者をかついでいる必要もなくなるでしょうなあ。ハッハッハ!」
 「お国内部の複雑な事情はわかりました。しかし、今もこうしている間、各地で奴婢(ぬひ)にされたり、転売されているわが国良民がこのままでよいはずがありません。できるかぎり早急に対処願いたい」とイ・セクはできるだけ感情を殺して言った。
 「最大限努力はしてみましょうぞ」と宗頼次。
 会談後、宗頼次の指示により、その影響下にある浦浦や郡司の館、塩浜などで使役されていた高麗人や漢人たちが浅茅湾(あそうわん)に面した船隠し(ふなかくし)に集められた。そして、朝鮮海峡を渡って対岸の富山浦(プサンポ。現・プサン)へと向かった。

 李穡(イ・セク)や太郎は送還船を護衛する船の楼上(ろうじょう)にいた。
 解放された成文徳(ソン・ムンドク)もいっしょだ。
 「けっきょく、俘虜(ふりょ)の件は認めなかったな? タラよ」とイ・セクが言った。
 太郎は無言で、遠ざかっていく対馬の島影を見つめていた。
 そのさまを見て、成文徳(ソン・ムンドク)が太郎の心情を代弁するように言った。
 「それはそうだろう。俘虜(ふりょ)の件を認めれば賊の正体を自ら認めることになるからな。あの仁位の殿(にいのとの)とやらはかなりのタヌキ野郎だ。島主に次ぐ立場の者が、配下の者どもがやっていることを知らぬはずがあるまい。しかし、戻らなくて良かったのか? タラ。せっかくお前の生まれた島へ戻れたというのに」
 「いや、これでふっきれたさ。見捨てられたんだ、おいらたちは…」と太郎はイ・セクと成文徳(ソン・ムンドク)を交互に見て言った。その表情はとてもやるせない表情に見えた。
 「自分の居場所は、自分で決めるしかないさ」太郎はそう自分に語りかけるようにつぶやいた。(つづく)

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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