対馬(つしま)は、この頃すでに島内の浦浦で塩づくりが盛んだった。製塩業は、冬から春にかけて、燃料に使う木材の伐採や薪(たきぎ)集め、夏場の潮汲み(しおくみ)、塩浜への散布、濃縮海水の溶出、塩釜での煮塩(にしお)に至るまで、年間を通じて多くの労働力を必要とした。
太郎が尚州(サンジュ)に送られた頃、対馬島内にはいろいろなところから売られてきた被虜人(ひりょにん)が塩浜などで奴婢(ぬひ)として働かされていた。そのほとんどは、賊によって隣国の高麗(コリョ)や中国沿海部から拉致(らち)されてきた人々だったという。
夏のある日。その対馬の、朝鮮海峡に面した西海岸の某所。「仁位氏(にいし)」が所有する塩浜。「仁位氏」とは対馬島主、宗経茂(そう・つねしげ)の弟であり、分家の長(おさ)でもある宗頼次(そう・よりつぐ)のこと。その意向を受け、一帯の製塩所の運営を任される男が視察を兼ねて見廻りに来ていた。
彼の名を黒瀬道教(くろせ・どうきょう)といった。
数十人の男たちが潮汲みや海水の散布にと立ち働いている。炎天下の重労働。彼らはみな下半身を布切れだけで隠しただけの格好だ。肌はジリジリ照りつける太陽と生暖かい潮風にさらされ、顔も体も赤銅色に焼けている。
等間隔に立っている見張り番の監視のなかで、まるで罪人の強制労働だ。動きが少しでも鈍かったり、サボタージュとみなされると鞭(むち)が容赦なく飛んでくる。
その様子を眺めながら、黒瀬道教なる人物が現場の監督官と立ち話をしている。
「さいきん、人夫(にんぷ)が増えたようだな?…」男は、じっとしていても吹き出る汗を布でぬぐいながら監督官にたずねた。
「塩づくりはこれからが本番ですで。人夫(にんぷ)は多すぎるということはありませんでなあ」と監督官が応じた。
「島民はこんなにはおらぬ。いったいどこから連れてきた連中だ?」と黒瀬道教。
「あっちのほうです」監督官は、朝鮮海峡のかなたを大きく腕をあげて指し示し、「ほとんどは高麗人(こうらいじん)ですが、たまに漢人もいます。詳しくはしりませぬが、人商人(ひとあきびと)が言うには、さいきんは唐(から)の国、山東半島あたりまでも人狩りに遠出するそうで…」
”人商人(ひとあきびと)”とは、奴婢(ぬひ)などの労働力を売買する商人のこと。いわば人身売買のブローカーだ。東アジア交流圏に組み込まれていた日本各地でも、彼らの商売は大盛況だった。
「なるほどな…」と道教が納得する。
そのときだった。塩浜のほうでひとりの人夫が倒れた。顔面蒼白だった。全身に文身(ぶんしん。いれずみ)をしている一団の一人だった。その文身(いれずみ)の模様は口を大きくあけたワニのようだ。
そばにいた見張り番の男が駆け寄って、怒声を浴びせながら棒で打ちすえる。その人夫はすでに立ち上がれそうにない。見張り番の男はさらに怒声を浴びせて足蹴にしている。
別の見張り番の男が駆け寄って行って、倒れている人夫の様子を覗き込む。そして、監督官のほうへからだの前でバッテン(×)にして首を横に振った。
周囲に居たほかの人夫たちが駆け寄ろうとする。
「誰が休めと言った~ッ! 作業を止めるな~ッ 続けろ~ッ!」監督官の男が大声で威嚇する。
倒れた人夫は、ふたりの見張り番に両脇を抱えられるようにズルズルとひきずられ、塩浜の外へと放り出された。
もうその表情はぐったりしたままだ。
ほかの人夫たちは憎しみのこもった目線を監督官のほうへ浴びせたが、近くに居る見張り番たちに小突かれながら作業を続けさせられた。
「オイッ! お前たち。そいつ目障りだッ! こっちへ連れてこいッ!」と監督官が先ほど男を引きずって行った見張り番二人に指示を出す。
「あまり酷使(こくし)して作業効率が落ちるのは困るぞ…」と、その様子を見ていた黒瀬道教が言った。
「ご心配ありません。こいつらは消耗品。奴婢(ぬひ)どもの補充はいくらでもききますで」
監督官はそう応えて、目の前に連れてこられた倒れた人夫をなおも棒で打ちすえようとした。そのときだった。すぐそばで作業していた人夫のひとりがすばやく身を挺(てい)してぐったりしている男をかばった。
ボコッという鈍い音がした。監督官が打ちすえたのはどうやらかばった人夫の背中だった。
「こいつッ! 邪魔(じゃま)するなッ!」監督官がわめく。
打ちすえられた人夫は背中の痛みに顔をしかめて振り向くと監督官を睨(にら)みつけた。
「なッ、なんだおまえ…反抗する気かッ!」監督官はそう言うが早いか、振り上げた棒で殴りつけようとした。
その瞬間! その人夫は、その一撃を間一髪でかわすと、監督官の懐(ふところ)深く踏み込んで拳(こぶし)を繰り出した。流れるようなその動きから繰り出された拳は相手のみぞおちあたりにめり込むように見えた。
しかし、その堅く握られた拳は、その寸前で抑制されていた。その場が凍りついたように静まった。
「それまでッ!」傍らに居た黒瀬道教が、格闘技の審判のように判定を下し、二人の間に割って入った。そして、監督官に向かって首を横に振った。
かばったほうの人夫は、すぐさましゃがんで倒れた人夫の容態をうかがい、道教に向かって言った。しかも日本語で。
「この男をすぐに日陰に連れて行け! なにか体を包む布がほしい…」
「わかった。お前たちで介抱してやれ…」道教はそう応じると、近くに突っ立っていた見張り番に綿布を持ってくるよう指図をした。
それから、塩浜の皆に聞こえるような大声で言った。
「余興(よきょう)はこれまでじゃ! ほかの者は作業を続けよッ!」
倒れた人夫の仲間だろうか。全身にワニや蛇の文身(ぶんしん。いれずみ)をしている数人の人夫たちが足早に駆け寄ってきた。意識もうろうとしている人夫を手厚く抱えると木陰のあるほうへ連れて行った。そのなかの一人が急に引き返して来て、かばった人夫に駆け寄り、頭を下げて礼を言った。
「この恩は忘れぬ…」中国語なまりのある高麗語だったという。
一方、黒瀬道教は、塩浜の雰囲気が落ち着いたのを見計らうと、監督官の男につぶやくように言った。
「やつは武人だな。真剣勝負だったら、まずお前のほうがやられてるところだった…作業さえ進めばよい。いたずらに連中を刺激するな。島主さまが筑前国(ちくぜんのくに)へ行ってお留守の今、島内で面倒を起こしてはならぬ…」
「ハッ、承知!」と監督官の男は直立不動の姿勢をとる。
道教はそのまま去りかけたが、引き返して来て再び監督官に言った。
「先ほどの高麗(こうらい)の武人だが、日本語が使えるようだ。あとで詰所(つめしょ)のほうへ連れて来い。念のため言っておく。反抗しない限り手荒なまねはするな。よいな…」
それを聞いた監督官は肩をすくめると、道教に一礼をして塩浜に戻って行った。
その日の夜。黒瀬道教(くろせ・どうきょう)の詰所にて。
「あの漢人は命拾いをしたようだ。貴公(きこう)のおかげだな」道教(どうきょう)がひとりの男を前にして話しかけていた。
昼間、塩浜で急病人を救った高麗人の人夫だった。男は無言でうなずく。道教はつづけた。
「医者も、良い判断だったと言っていた。炎天下とはいえ、顔面蒼白で体が冷え切っていたそうだ。むやみに体を冷やさず保温したのがよかったらしい」
男はなお無言だ。
「まあ、楽にされよ。貴公なら筆談の必要もなかろうが、ご姓名はなんと申される?」と道教。彼が紙と硯(すずり)を差し出すと、対坐した男は、達者な筆遣いを披露した。紙には、「成 文徳」と書かれていた。
「ソン・ムンドク、と申す…」と日本語で応じた。
「ソン…ムンドクどのか」道教はその男の名を高麗語読みで口にすると、「貴公の人物を見込んで頼みがあるのだが…」
「何をもくろんでいるか知らぬが、買いかぶるのは止せ」と成文徳(ソン・ムンドク)と名乗る男は言った。
「貴公、高麗(こうらい)の、ひとかどの武人と見たが、お国の宮廷に仕えていたとか?…」と道教。
「フッ…宮廷だと? くだらん…都などくそくらえだ」と文徳(ムンドク)。
「高麗(こうらい)の都に居たことがあるんだな?」と道教。
「昔のことだ…」と文徳(ムンドク)。
「我も、もとは武士(もののふ)の端くれじゃ。属する国、仕える主人は異なれど、貴公が武人であることぐらいはわかる。もののふのことをお国では”ムサ(武士)”と呼ぶのであろう?」と道教は言い、急に声をひそめて、「実は、お国の使者と名乗る者たちが、国府の宗家(そうけ)に来ているらしいのだが…」
文徳(ムンドク)は、そこで初めて顔色を変えた。
「本当か? 朝廷からの使者(サジャ)というのは?…」
「ご自分で確かめて見られたらいかが?」と道教は言った。
「ム…、使者(サジャ)とやらの用向きは何だ?」と文徳(ムンドク)。にわかには信じられないという表情である。
「まず考えられるのは、貴公たち被虜人(ひりょにん)の送還交渉だろうな」と道教は言った。
「その見返りに何を要求したのだ?」と詰問調になる文徳(ムンドク)。
「こちらからは何も要求してはおらぬ。働きかけがあったのは貴公のお国の朝廷からのようじゃ」と道教。
「で、俺に何をしろというのか?…」と文徳(ムンドク)が膝を乗り出した。
それを待っていたかのように道教は言った。
「貴公には、ぜひその使者との交渉役をお願いしたい」
考え込む文徳(ムンドク)をみて、道教はさらに言った。
「何を迷われるのじゃ? 文徳(ムンドク)殿。貴公とてお国で待つご家族もござろう? このまま辺海(へんかい)の島で朽ち果てるのは面白くあるまい…」
「笑いたいなら笑うがよい。今の俺は高麗(コリョ)に戻っても嘲笑されるだけだ…」と文徳(ムンドク)。
「そうだろうか? 貴公ほどの人物を見殺しにする高麗政府では先行きが知れておろうが」と道教が挑発する。
「テマドの海賊と一心同体のおぬしには言われたくない。しかし反論できぬ今の自分の無力さが歯がゆい…」文徳(ムンドク)は無念そうにうなった。
「だが、情況が変わり始めているようじゃ」と道教が言う。
「どういうことだ、それは?」と文徳(ムンドク)。
「何年か前に忠定王(チュンチョンワン)の後を継いで即位した新しい王は知っているか?」と道教はたずねた。
「いや、面識はない。たぶん、元(げん)の都から戻られた皇太子だろう…それで、どうしたのだ?」と文徳(ムンドク)が問う。
「貴公の母国が元朝(げんちょう)に服属して以来、王の名前に用いてきた”忠”の字がない。貴公の国の言葉で恭愍王(コンミンワン)というそうじゃ。今回の使者はその新しい王の勅命を受けた者たちらしい」と道教は応じた。
文徳(ムンドク)は、その新しい王の名を復唱するようにつぶやく。
「それだけではない。これまでのように元朝の年号が使われていないのじゃ」と道教はつづけた。
「何か、内密の書状でも届いているのか?…」と文徳(ムンドク)が質(ただ)した。
「本物か偽物(にせもの)かわからぬが、宗家(そうけ)とわが仁位(にい)の殿宛てに、それぞれ同じ怪文書が届いているらしい」と道教。
「怪文書、だと?…どんな内容か分かるか?」と文徳(ムンドク)は詰め寄る。
「ここに要約だが写しがある」と道教はおもむろに懐(ふところ)から一通の書状を取り出し、文徳(ムンドク)の同意を得たうえで、押し殺した声で読み上げた。
それによれば、高麗(こうらい)で賊に拉致され、対馬島(テマド)へ奴婢(ぬひ)として売り飛ばされてきた高麗人に呼びかける書状の体裁であった。その内容はこうだ。近年の元朝の無策、腐敗ぶりを糾弾し、今こそ高麗遺民は服属以前の誇りを取り戻し、逆賊の親元派与党を排除し、義軍を興すべし。元朝に永く占領された伝来の国土を回復すべし…云々とあるらしかった。
「ふんッ。俺を反逆者扱いして都から追った連中が、今度は逆賊か…」と文徳(ムンドク)は言い、口元をゆがめた。(つづく)
『多羅倭人伝(たら・わじんでん)』のエントリ


