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多羅倭人伝 :: 《7》

  • posted by: uro
  • date: 2009/09/13 PM 9:07 (日)

 太郎が御座船(ござぶね)の舵取り(かじとり)を任された頃のことだった。李穡(イ・セク)が、あらためて崔茂宣(チェ・ムソン)を太郎に引き合わせた。
 <海賊対策のために、火器を搭載した特殊な軍船を造りたい>とチェ・ムソンが言うのだ。そこで、操船術にすぐれた者の意見をじかにいろいろ聞きたいのだという。
 イ・セクによれば、恭愍王(コンミンワン)が王位に就く以前から、王朝政府に進言(しんげん)し続けてきたことらしい。
 あるとき、チェ・ムソンは太郎に言った。
 「タラ、お前なら分かっているだろうが」と彼は言った。「ここ数年、日本方面から襲来する武装した賊は、租米運搬船や交易船を襲うとき狙った船にぴったりと舷(げん)を接して乗り込んで船ごと乗っ取る。連中は母国では”悪党(あくとう)”と呼ばれているらしい。内乱のなかで育ち、ふだんから太刀や槍などの武器を使い慣れている。連中に船内に乗り込まれたら防ぐのは難しい。では、どうすればよいか?」
 「接近戦を避けることだろうな」と太郎が言った。
 「やはり、そういうことになるか…」チェ・ムソンが応じた。
 「しかし、火矢(ひや)なんぞでは威嚇にはなっても撃退することは無理だろう」太郎は言う。
 「もっともだ」とチェ・ムソンは言い、「そこで、海賊対策には火薬を使った火器が必要なんだと何度も朝廷のお偉ら方に進言してきた。だが彼らは俺の話を取り上げなかった」
 「だけど、王様が替わってから運が向いてきたっていうことか」と太郎。
 チェ・ムソンはその太郎の言葉に無言で同意すると、彼自身がはじめて火砲(かほう)というものの威力を目の当たりに見たときの体験を語った。
 「タラ、お前、テグにいたことがあるそうだな」
 「ああ、いた。おいらの恩人が住んでいる」と太郎。
 「なるほど。俺もテグには縁がある。親の使いでよく行った…」とムソン。彼の話では、実家が代々の薬師(くすし)だった。テグはその当時、全国から薬商が集まってくる町として知られていた。
 「だが、俺に関心があるのは薬(ヤク)は薬(やく)でも火薬のほうだがな。いつだったか、オヤジに同行してテグで仕入れた薬剤を元(げん)の都に売りに行った行商の帰り。あれは、遼東湾だった」
 「遼東湾?」と太郎。
 「元の水軍がよく軍事演習をやってる所さ」とチェ・ムソンが応えた。
 大きな筒が港に浮かぶ大船に向けられた。次の瞬間だ。耳を覆いたくなる轟音(ごうおん)と同時に筒先から火を吐いた。標的となった船は瞬く間に炎に包まれ、やがて沈んでいったという。
 船は実験台として港に浮かべられたものだった。大勢の人々が物見高く見物していたぐらいだから秘密の実験ではなかろう。すでに実用化の目途が立ち、デモンストレーションの意味合いがあったようだ。
 ”黒竜の卵破れて、飛竜雷鬼、走る”とはよく言ったもんだ、とムソン。その当時、火砲の威力を見聞した人の有名な表現だという。
 チェ・ムソンとは、そのあと何度か会う機会があった。打ち合わせが終わって、ムソンが酒を飲むから付き合え、という。宮廷内でも浮いた存在で、話し相手がほしかったんだろう。
 太郎がチェ・ムソンの求めに応じて、対馬での生い立ちや高麗(コリョ)にやってきたいきさつを話したときのこと。たまたま合浦(ハッポ)での話題が出た。
 「なんだ、金竜(キム・ニョン)を知っているのか?!…」とチェ・ムソンは驚いた。
 キム・ニョンが合浦(ハッポ)に転任する前、チェ・ムソン自身が開京(ケギョン)で世話になった人物だという。いろいろムソンに聞いてみると、どうも同一人物のようだ。
 「あの人物なら中央の武官にでもなれる器(うつわ)だったのになあ…」とチェ・ムソンは惜しむ。
 「そんな人がなぜあんな辺海の地に?」と太郎が問うた。
 「聞いた話では、漁師の娘をてごめにしようとした役人をなぐって左遷されたっていうことだ。彼をかばった成(ソン)…なんとかいう上官も”部下の監督不行き届き”とかで、多島海(タドヘ)のどっかの島へとばされたと聞いた」
 「多島海(タドヘ)か…」
 「そうだ。海賊がいちばんよく出没する海域だ」とチェ・ムソンは言って顔をしかめた。

 13世紀後半、モンゴルは高麗を執拗に侵略して屈伏させた。同時に、南宋包囲網の一環として南宋と密接な関係にあった日本に服属を迫った。そして日本にも遠征軍を派遣するが二回とも失敗する。その後、矛先を東アジアから東南アジア方面にシフトした。南の交易ルートの獲得を狙ってのことだった。しかし、ユーラシア大陸の平野部では抜群の戦闘力を発揮したモンゴルの騎馬軍団も、熱帯雨林のジャングルや航海術を必要とする島嶼部(とうしょぶ)に入るとかつての勢いは失速する。慣れない環境面に加えて、東南アジア各地域の人々の根強い抵抗運動はさしもの蒙古軍をたじろがせた。一時は今でいうジャワ島あたりまで侵攻したが本国との輸送ルートを断たれて撤退せざるを得なかった。いわゆる”元寇(げんこう)”は日本だけのことではなかったのだ。やがてモンゴル勢力は、南宋を南北から侵攻して滅ぼすと中国本土で元朝を建てる。そして以後、100年近く高麗を服属国としてきた。
 国境を接する東北地域や海路の要衝(ようしょう)にある耽羅(タンラ。今のチェジュド)を武力で奪い、モンゴル人武官を送り込んで直轄領として支配した。
 一方、朝鮮半島の広大な東北地域はそのまま一世紀近く元朝に占領されたままだった。
 そのエリアには、戦後の荒廃した土地を耕すために、多くの高麗人が強制的に移住させられ幾世代かを経ていた。モンゴル高官による圧政と差別を受けながらも、彼らは高麗の民である誇りを失わなかった。そしてその地に土着して、勢力を培うにいたった。
 そのエリアの重要拠点、「双城(サンソン)」にはモンゴルの「総官府」が置かれていた。その拠点は”権門勢族”の代表だった奇氏一族の本拠地でもあった。
 恭愍王(コンミンワン)と若きブレーンたちによる、元朝からの脱却を目指す動きは水面下で進められた。その第一段階が東北地域の拠点、「双城(サンソン)」の奪還なのだった。
 そのおりもおりであった。東北地域の咸州(ハムジュ)にいる李子春(イ・ジャチュン)という人物から恭愍王(コンミンワン)にひそかにアプローチがあった。
 <罠(わな)ではないか?!…>あまりのタイミングの良さにそんな疑念すらわいた。さっそく恭愍王(コンミンワン)はイ・セクたち信頼できる家臣を集め、東北地域からの働きかけにどう対応するか、その意見を求めた。
 「高麗遺臣の末裔(まつえい)の一人ではありましょう。しかし、いかなるたくらみが背後にあるやもしれませぬ…」と慎重なイ・セクなどは進言した。
 イ・セクが独自に調べたところ、東北地域に根づいた家臣の一人で、千戸(せんと)という武官職をもつ人物のようだった。ただ、世代的に年配らしく、イ・セクを含め若いブレーンたちに面識のある者がいなかった。結局、内密に連絡を取り、直接会ってその心底を確かめてみることになった。
 やがて。イ・セクらの進言により、ひそかに恭愍王(コンミンワン)の勅命がその男のもとへ飛んだ。反応はすこぶる早かった。
 李子春(イ・ジャチュン)という壮年の男は、人当たりのやわらかな人物だった。イ・セクが観たところ、自分たちの父親と変わらない年代のようだ。ひとり、太郎と同年代の若者を連れていた。
 話してみて、イ・セクたちの疑念は晴れたようだ。
 「さすがに恭愍王(コンミンワン)さまのおそばに仕えるお方だ。失礼ながらお若いのに、私ごとき辺境の古狸(ふるだぬき)と同じことをもくろんでおられたとは」そう李子春(イ・ジャチュン)は苦笑した。あらためてたたずまいをただすとこう言った。
 「ご疑念が晴れたところで、私の存念を申し上げてよろしゅうござるか?」
 イ・セクたちが同意すると、その壮年の男は言った。
 「現在、敵の居座る双城(サンソン)は、私も武官として勤務経験のある周知のところです。われらの拠点、咸州(ハムジュ)のすぐ南にあります。もし、王様が王軍を率いて王都から双城(サンソン)を攻めるならば、私たちは東北面周辺の高麗遺民や帰順している女真族の騎馬隊を率いて内部から呼応して蜂起いたしましょう。これは、国土回復のさきがけとなりましょう」
 「お疑いしたことは、私に免じてなにとぞお容赦を」とイ・セクは応じて、その男のすぐ後ろで控えている若い男についてたずねた。
 「おお、これは紹介が遅れまして。これに控える者は愚息(ぐそく)でして…これ、イ・セク殿にごあいさつを」イ・ジャチュンは振り返って促した。
 「李成桂(イ・ソンゲ)と申す」その若者は、寡黙だが、秘めた闘志を感じさせる面構えだ。年齢は太郎が見たところ、同じ年頃に見えた。
 「このとおり田舎育ちの武骨者ですが、以後、私ともどもお役に立ててやってくだされ」とイ・ジャチュンがフォローする。
 「さっそく、王様との会見の場を設けますゆえ、しばしお待ちを。なにしろ宮中には油断のならぬ連中もおりますので…。まずは、長旅の疲れをお流しください」イ・セクは言うと、部下の一人に沐浴場(もくよくじょう)へ案内するよう指示した。
 恭愍王(コンミンワン)と李子春(イ・ジャチュン)父子との会談は極秘のうちに行われたようだった。イ・セクの話では、一行は会見後、時を惜しむようにすみやかにひっそりと東北地域の拠点へ戻って行った。この会見を知る者は当時の宮中でもごくわずかだった。
 太郎は、それまで近習(きんじゅう)として王様の身の回りの世話とか雑用などを主にしていた。最近では御座船の舵取り(かじとり)に加え、彼自身の希望で新しい戦艦づくりに関わるようになっていた。製造の責任者から、船乗りの立場からの意見を求められることも多かった。なかでも、”装甲船”は太郎のアイデアが随所に活かされた戦艦だった。要所要所に鉄板が用いられており、堅牢だがそのぶん船足が遅い。舳先(へさき)と船尾が鋭角に尖っていて、敵船の側面に体当たりして破壊したり、乗り移って斬り込むのに適した突撃用の特殊船だった。火器に詳しい崔茂宣(チェ・ムソン)の発案で、”焙烙火矢(ほうろくびや)”を船上から飛ばすことも試された。が、当時はまだ射程距離も短く、命中率も低かった。荒れる海域では自爆の危険性が大きく、実用化は先送りにされた。チェ・ムソンの「火器搭載船」開発計画はそれから約20年先に実を結ぶことになる。
 さて。新作の戦艦の試乗は、江華島(カンファド)の周辺で行われた。開京(ケギョン)のある本土がすぐかなたに望める近さである。しかし、その間に流れる潮流は激しく、かつ複雑だ。かつて、高麗全土を怒涛のごとく侵攻してきたモンゴル騎馬軍団も、一時都を放棄した亡命政権が立てこもった江華島(カンファド)には手を焼いたものだったそうだ。
 その逆巻く海域を一艘の戦艦が本土側の船隠し(ふなかくし)に入っていく。
 「タラ~ッ!!」と、船から降りてきた太郎に大声が掛けられた。声の主は、イ・セクと太郎の連絡役になっていた家臣の一人だった。
 「これは…頑丈そうな船だな」男はその船を見て驚く。
 「耽羅(タンラ)の船を研究して造ってみた。まだまだ試験中だ。何か用か?…」と太郎は男にたずねる。
 「イ・セクさまが急用があるらしい。連れて行ってやるから後ろに乗れッ!」と男は馬にまたがった。

 開京(ケソン)。王城の満月台。隠し扉の間(ま)にて。
 恭愍王(コンミンワン)とそのブレーンたちが円座になっている。
 <おいらに急用とは何だろう?…>太郎が少々緊張していぶかっていると、対面の王様の隣りにいるイ・セクが手で招いた。
 彼のそばに座すと、「あらためて、タラに確認したいが…」とイ・セクが言った。「テマド(対馬)で賊を統制できそうなのはどういう勢力、あるいは人物だろうか?」
 「島主の宗経茂(そう・つねしげ)どのか、あるいは分家の宗頼次(そう・よりつぐ)どの、かと…」太郎は応じた。太郎にとっては両名とも雲の上の人で会ったことも見たこともない。宗氏は守護代官とはいえ、たまにしか対馬(つしま)には来ない。この頃の宗氏(そうし)は、ほとんど九州本土に在住していた。太郎のような普通の対馬島民にとって縁の薄い存在だった。その宗氏の主家であり、当時、対馬島の守護を兼ねていた太宰府(だざいふ)の少弐氏(しょうにし)などは対馬島民にとってはよそ者でしかない。しかも、九州本土が南北朝動乱の”台風の目”になっていた時期である。対立の構図も、もはや武家方(北朝方)vs宮方(南朝方)といった単純なものではない。幕府方vs南朝方vs足利直冬党(あしかが・ただふゆ・とう)という”天下三分の形勢”にあった。足利直冬が肥後(ひご、今の熊本)の豪族、河尻氏(かわじりし)を頼って九州に来て以来、少弐氏は幕府将軍方から足利直冬党へ鞍替えしていたため、宗氏もまた同一行動をとっていたものらしかった。しかも、この頃の、南北朝動乱の特徴の一つは、”惣領(そうりょう)vs庶子(しょし)”の確執という側面があった。宗氏内部も惣領の経茂(つねしげ)は基本的に主家の少弐氏に同調していたが、庶子の頼次(よりつぐ)は微妙な態度だったという。だから、一島民にすぎなかった太郎などはその二人の名前を挙げることしかできなかった。
 「うむ。今ひとつ問う。日本の武装集団がわが国を侵すはなにゆえか?」とイ・セクが質(ただ)した。
 太郎が言い淀んでいると、今度は横から王様がたずねた。
 「遠慮するな。タラ。忌憚(きたん)のないところを申してみよ」
 太郎は、こう言った。わが故郷(さと)、対馬島は山は険しく耕地は乏しい。九州本土から遠いため、米などを高麗(コリョ)に頼ってきた。しかし、両国の混乱状態で正式な交易は途絶えて久しい。多数の飢えた人々が豪族衆に率いられ、賊となって押し寄せるにいたったこと。
 「それに…」と太郎は付け加えた。自分自身が駆り出された海賊働きには、対馬や肥前・松浦党(ひぜん・まつらとう)だけでなく、熊野海賊衆や瀬戸内の海賊衆なども明らかに混ざっていたということだ。彼らは主に南朝方の幹部や戦闘員や物資の海上輸送に利用されていたが、兵糧(ひょうろう)の調達もやらされていたことは太郎も目の当たりにしていた。
 恭愍王(コンミンワン)は目を閉じて思案しているようだった。しばらくして、眼を開けて言った。
 「隣国のかの国の内乱が、わが国沿岸部への海賊行為と深く関わっていることにはうすうす感じてはいたが…。もとより原因はさまざまあるだろう。テマドの場合はやはり食糧事情か?」
 「テマドの場合は、私もそう思います」とイ・セクが応じ、「ただ、わが国に襲来する賊のすべてがテマドの島民とは思えません。主力は戦事(いくさごと)に慣れた連中です。賊の目的は兵糧確保や奴婢(ぬひ)として売り飛ばす人間の略奪なのです。つまり連中の目的は内乱を戦い抜くための軍資金集め、と思われます」
 恭愍王(コンミンワン)はしずかにうなずいた。
 「くちはばったいようですが」と断ったうえで、イ・セクが続けた。「タラの申すように、テマドの場合に限れば、正式な交易が途絶していることこそが重要な原因かと思います」
 「わかった。考えてみよう」と王様は応じた。そして、タラのほうを見て言った。
 「タラよ。そのほう、使者の一人としてテマドに赴(おもむ)いてくれぬか?」(つづく)

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