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あの頃のサミタラ :: 《15》

  • posted by: uro
  • date: 2010/08/31 PM 8:46 (火)

 「どうやら、王様が自ら位を譲ったそうじゃと」
 温泉津(ゆのつ)の港から出雲に来たという、銀の運搬船の船乗りが言った。
 「ウ~ム、いよいよ高麗(こうらい)も世代わりか…」と地元の船乗りがつぶやく。
 ”高麗も”、というのは、わが国ではちょうどこの頃、室町幕府の三代将軍・足利義満(あしかが・よしみつ)のもと、全国規模で幕府の支配権強化が進み、その総仕上げとして”南北朝合体”がついに実現したからだった。”合体”といっても対等なものではない。北朝を担(かつ)ぐ室町幕府の主導のもと、南朝方の後亀山天皇が”三種の神器”を北朝方の後小松天皇に譲渡した。この出来事が当時を生きた市井の人々にとってどううつったか。両勢力の力関係から見て、北朝・幕府方が南朝方を接収した、と見たことだろう。翌年の年号は、南朝方の使用していた「元中(げんちゅう)」が「元中九年」を以て廃され、北朝方の「明徳(めいとく)」が引き続き使用された。政治的な立場の違いで使用する年号が異なるという状態が約半世紀ぶりにひとまず終わったわけだ。
 さて、ここは出雲(いずも)の国、大社(たいしゃ)湾に面した港の船着き場。何人もの男たちが集まっている。即席の寄りあいのようだ。
 彼らは、博多や対馬(つしま)、あるいは富山浦(プサンポ、現・プサン)など国内外の主要な港を結ぶ航路を行き交う船乗りたちだった。
 隣国、高麗の最新情勢について情報交換したり、語り合ったりしている。
 今で言う”日本海”側はアジア大陸に近い。朝鮮半島や中国大陸などアジア情勢に関しては、京都や近畿地方を一歩も出たことのない朝廷の殿上人(てんじょうびと)や公卿連中よりも、この海域を自宅の庭のように行き交っている私貿易船の船乗りたちのほうが、ずっと海外情勢に通じていた。また同時に、自分たちの暮らしぶりに直結しているだけに、その関心度も高い。
 「心配なのは…」と、その話を聞いていたある男が言う。やはりこの地に拠点を持つ廻船商人のようだ。
 「渡航や商売が制限されたりしないかどうかだ」
 「まずはそういうことだ。明国(みんこく)のように、我ら異国の一般商船が自由に入れなくなっては困るでのう」とほかの男が応じた。
 「この間も、寧波(ニンポー)に行った交易船が海賊と間違われて明国水軍に拿捕(だほ)されたそうだ。さいわい幕府の発行する過所船旗(かしょせんき)を持っていたので疑いが晴れたものの、”公式の進貢船ではない”と、強制送還されたそうじゃ」

 やがて、高麗王朝に取って代わったという隣国の新しい政権から日本の室町幕府にも使節が派遣されてくると、朝鮮半島情勢の具体的な全貌が明らかになってきた。
 ここにもひとり、誰より高麗の情勢を少しでも詳しく知りたい人物がいた。金 在彦(キム・ジェオン)である。
 この地に漂流して一命を救われ、アカネという土地の娘と所帯を持ち、私塾の講師としてこの地に根をおろそうとしている彼ではあるが、故国・高麗のことは一日たりと忘れたことはなかった。
 「都の幕府には友好関係の継続と賊(ぞく)の取り締まり要請があったそうじゃ」と、ジェオンの学問の師であり私塾の運営者でもある祖雲(そうん)は言った。
 「お前の母国で新しい王となったのは武人出身の人物らしい。倭賊の撃退などで名を挙げたそうだが戦術云々より何より、余程の人望と強運に恵まれているようじゃ。高麗に代わる新たな王朝を開き、太祖(たいそ)と名乗っておるとか」
 太祖は本名を李 成桂(イ・ソンゲ)という。朝鮮王朝の初代国王になった人物だ。モンゴル帝国「元朝」の属国状態を打破しようとした恭愍王(コンミンワン)の治世、高麗の東北面の武人だった父親とともに頭角を現した。中国の反乱軍、「紅巾軍(こうきんぐん)」や女真族、倭寇(わこう)など、衰えた高麗に侵攻した外敵の撃退にバツグンの活躍を見せ評価を高めた。
 「高麗はどうなるでしょうか…」とジェオンは不安げな表情だ。
 「太祖が即位したのは開京(ケギョン)じゃ。だが、これまでのしがらみを脱し、人心を一新するためには、都や国号も変えるかもしれぬな。とりわけ遷都(せんと)は行うじゃろう。この国でもいにしえよりままあったことじゃ」と祖雲。
 「高麗は…無くなってしまうんでしょうか…」とジェオンはつぶやいた。
 「何にしてもお前の母国じゃ。気持ちはわかる。だが、お前の母国そのものがこの世から消えてなくなるわけではないからの。まあ、ここで我らがやきもきしても始まらぬが、すべてはこれからじゃのう」と祖雲。
 「適当な言葉が浮かびませんが、世の中が改まった、ということですね」とジェオン。
 「そうじゃな。わが国でも吉野(よしの)の山中にあった大覚寺統(だいがくじとう、後にいう「南朝」)の帝(みかど)がついに山を降り、持明院統(じみょういんとう、後にいう「北朝」)の帝と幕府に屈した。時を同じくして、この日ノ本で、そして高麗で、世が変わるとは因果なことよのう」と祖雲はしみじみと語った。
 「変わるなら、いい方に変わってほしいものです。今の私にはそれしか言えませんが」とジェオンは言った。
 「まったくじゃのう」と祖雲は言い、ふと、思い出したように続けて、「安来(やすぎ)のご領主、松田殿のお話では、今度の新王朝は交易を国が独占せず私貿易も認めると言う。これはよいことかもしれぬ」と祖雲。
 「我ら一般人同士の往来も盛んになるということでしょうか? 」とジェオン。
 祖雲はそのジェオンの言葉に深くうなずいた。
 政府の要人だけでなく、商人や知識人など民間人同士の往来が盛んになれば…、とジェオンは思った。
 もし、そうなれば、母国・高麗とこの国両方の言葉を自在に使いこなせる自分にできることがあるんじゃないか。その両国をつなぐ架け橋の役目ができるんじゃなかろうか…。ジェオンは心中、そういう思いに希望を膨らませたものだった。
 「それに」と祖雲は続けた。「対馬(つしま)の島民や松浦(まつら)の家船衆(えぶねしゅう)も、海賊働きに走らなくとも、海運業や交易、商売など、まともな生業(なりわい)で食っていけるようになるんじゃなかろうか」
 ”松浦(まつら)”は九州の肥前(ひぜん)の松浦半島沿岸から五島列島にかけて割拠していた海上勢力のこと。”松浦党”と呼ばれ、海賊衆としてその武名を都にまでとどろかせていた。しかし、ジェオンの脳裏には、対馬で出会った隻眼(せきがん)の少年の姿が重なった。
 ジェオンが晋州(チンジュ)で倭賊(わぞく)に拉致(らち)され対馬に転売されて以来十年経つ。その間に、ジェオンの母国でも、日本でも、いや東アジア全体では大きな時代のうねりが起きていたのだった。
 以後、世変わりした母国の情況が刻刻とこの地にももたらされた。ジェオンの母国は「高麗(コリョ)」という国号は廃され、古代王朝にちなんで、「朝鮮(チョソン)」という国号が定められた。”朝の鮮やかな国”という意味合いだそうだ。
 ジェオンはアカネと子供とともに稲佐(いなさ)の浜にたたずんでいた。そこから母国の方角を眺めながら、その国号にふさわしい国になってほしいと願った。そして、帰国できる日を指折り数えて待った。

 南西の季節風を待って、被虜人(ひりょにん)となっていた高麗人たちの、母国への送還が再開された。
 いよいよジェオンが帰国する日がやってきたのだ。いや、妻のアカネやその子にとっては、新たな旅たちの日でもあった。祖雲(そうん)は、愛弟子だったジェオンやアカネの前で初めて涙を見せた。
 「ジェオンや…お前の母国とこの日ノ本では、話す言葉や衣服こそ異なるが、苦しみ、安らぎ、悲しみ、喜び、という人としての感情に変わりなどあろうか…」と祖雲は続けた。
 「これから通事(つうじ)という仕事は、国の違いを越えて求められるじゃろう。お前の天職かもしれぬ。むろん、お前は好んでこの地に来たわけではない。しかし、これからは、これまでの災いを福に転ずることができるやもしれぬ」
 祖雲はそう言って、ジェオンとアカネ、そしてその子を見つめ、彼らの新しい旅立ちを祝福した。
 ジェオンとその家族の乗船する送還船は、松田氏が掌握する美保関(みほのせき)から出帆(しゅっぱん)した。
 対馬(つしま)の東水道を使う航路で、約十二日か十三日の日程で朝鮮国の富山浦(プサンポ、現・プサン)の港に到着する予定だという。
 送還船は、対馬島の東岸沿いを陸地を確かめながら進んだ。護衛船として松田水軍の兵船一隻が同行している。
 対馬の北端にほど近い西泊(にしどまり)の港で風待ちの後、島の北端部を回り込もうとしたあたりだった。前方から二隻の正体不明の船舶が現われた。
 <すわッ! 賊か? …>
 前方の海原を見つめる人々の間に緊張が走った。先導役の護衛船が、すぐ前方で火矢(ひや)の集中砲火を浴びている。
 「ありゃあ、ジャンクじゃ! 」送還船に同乗していた護衛の武士の一人が叫んだ。
 ジェオンも、以前、明国のジャンク船は見たことがあった。今、目の前にいるジャンクは、大きさは送還船とさほど変わらない。四十人乗りぐらいだろうか。全体にずんぐりした形状で、船首、船尾ともに反り返った形をしている。
 <どうして明国船がこんなところで海賊働き(かいぞくばたらき)をしているんだ? …>とジェオンは疑問に思った。
 ひょっとして、倭寇(わこう)が明国水軍との海戦で乗っ取った”戦利品”だろうか? …それとも、南朝方がかつて太宰府(だざいふ)を支配した頃、明(ミン)の朝廷からもらったという進貢船だろうか? …
 …と、護衛船に迫ってきたジャンクから太鼓(たいこ)の音が鳴り響いてきた。”攻め太鼓”というやつだろう。賊船の、突撃の合図らしい。
 ジャンクは瞬く間に護衛船に舷(げん)を接した。すると、それまで賊船の船垣(ふながき)の一部だった板が、次々に護衛船に向けて倒されていった。標的にした船に戦闘員たちを乗り移らせる”渡し板”になるようだ。それを渡って、手に手に槍(やり)や太刀(たち)などの武器を持った賊が護衛船に乗り移っていくのが見えた。
 その間に。もう一隻の賊船が、護衛船とジェオンたちの乗っている船との間に強引に割り込んできた。
 「だ…誰かッ! 倭語(わご)の話せる者はおらぬかッ! 」
 この船の船大将だろうか。水軍鎧(すいぐんよろい)で武装し、十数人の兵たちを左右に従えている。その男は、ジェオンたちの一団に向かって叫んだ。
 ジェオンは迷いなく一歩前に進み出て。
 「何をすればいい? 」とその武者に質(ただ)した。聞けば、被虜人(ひりょにん)たちを船倉(ふなぐら)に誘導してくれ、とのことだった。
 ジェオンは早速、アカネと協力して同胞たちとともに、その武者に指示された場所に避難した。
 目が暗さに慣れないうちは手探り状態だったが、徐々にあたりの状態がわかってきた。どうやら、船底に近い荷物置き場のようだった。
 ジェオンは、倭寇(わこう)に掠致(りゃくち)された子供の頃の忌まわしい出来事を思い出した。かつての悪夢がよみがえる。だが、もうあの頃とは違うジェオンになっていた。彼にも守りたい人ができていた。自分がしっかりしなければ、と思った。倭寇船の船倉で出会い、対馬でともに奴婢(ぬひ)生活を送ったあの崔淳(チェ・スン)の笑顔が浮かんだ。
 <今度は、お前が皆を励ます番だ> そう亡き彼に言われたような気がした。
 目も次第に慣れてきた。ジェオンは周りの人たちに言った。
 「ケンチャナヨ! 何とかなりますよ。生きて帰りましょう、みんなで」
 船倉の上のほう。つまり、甲板からは、護衛として乗り込んでいた松田氏傘下の武士たちや賊軍の兵士たちが走り回る足音や雄たけびや怒号が交錯して聞こえてくる。大丈夫、と周りの人を励ましてみても、実際は生きた心地もしなかった。
 でも、今は自分のできることをやろう、とジェオンはひたすら周りの人々を励まし、女性や老人、子供は真ん中に集まってもらって、身を寄せ合っていた。アカネと同年代の女たちも結構いるようだ。もし、この船が賊に乗っ取られたら、ここにいる女たちの運命は想像に難くない。賊たちの慰み者にされ、どこかへ売り飛ばされてしまうだろう。
 <…いや、今は信じることだ> ジェオンはそう強く念じた。そのとき、ジェオンの手を強く握りしめてきた手があった。
 アカネだった。その表情まではわからない。でも、逆に自分を励ましてくれている、その気持ちは伝わってきた。その隣りで動く影があった。ジェオンとアカネの間に生まれた息子だった。その子は、今や、むかし晋州(チンジュ)で倭寇(わこう)の襲撃を受けた頃のジェオンの弟、英学(ヨンハ)と同じ年代になっていた。(つづく)

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