クリップ画像 delicious! newsing! buzzurlにブックマーク! Yahoo!ブックマーク ライブドア - この記事をクリップ! このエントリーを含むはてなブックマーク

あの頃のサミタラ :: 《14》

  • posted by: uro
  • date: 2010/08/12 AM12:58 (木)

 金 在彦(キム・ジェオン)が出雲(いずも)の地に流れ着いてから七年目。
 今年も、西の海のかなたからウミネコがこの地に飛来する時期がやってきた。渡りをする海鳥だ。名前のように、独特の鳴き声が印象的だ。
 夕暮れどきの稲佐(いなさ)の浜。海に沈む夕日を穏やかに見つめる若夫婦がいた。在彦(ジェオン)とアカネだ。幼子を連れている。
 海が茜色(あかねいろ)に染まっていく。
 「何年か前、お前とここでいっしょに夕焼けを見てから、お前の名前の由来がわかったよ」
 ジェオンがアカネに言った。
 「両親は私が子供の頃に亡くなったから、じかに聞けなかったけど、おじいがここでよく話してくれたの」とアカネが応じる。
 特徴のある鳴き声をあたりに響かせて、海鳥たちが上空を舞っている。
 幼子が空を指差す。
 「あの鳥の名の由来も、お前がここで教えてくれたな」
 そうジェオンは言って、幼子を抱きあげた。
 今年も、やがてウミネコは、経島(ふみしま)で卵を生み、子を育てて、七月頃には西のほうへと渡っていくだろう。
 寺の住持(じゅうじ)である祖雲(そうん)は、孔子(こうし)や孟子(もうし)など儒学にも精通していたので、近辺の浦々の子弟たちを対象にして、読み書き習得のための私塾をはじめていた。
 ジェオンは、学問の師でもある祖雲にその学才を認められ、その私塾で講師をするようになっていた。もちろん、一家の家計を支えるためであった。ジェオンはアカネと集落に所帯を持ってからは寺に通っていた。
 ちょうど、この地からウミネコが姿を消した頃のことだった。
 その日の講義が終わり、浦の子供たちを帰してからのこと。祖雲は、何か改まった表情で、ジェオンに、大事な話がある、と告げた。
 ジェオンが客間に赴(おもむ)くと、祖雲は腕組みをしたまま、ジェオンに、まあ、お座り、と言った。
 「さあてと、何から話してよいやら…」
 祖雲は、そう言って、逡巡(しゅんじゅん)している様子だった。そしてジェオンに茶をすすめた。
 いったい、何の話だろう? …とジェオンは茶をすすめられるままにすすりながらいぶかっていた。
 「ジェオンや。お前、高麗(こうらい)に帰りたくはないか? 」と祖雲は言った。
 ジェオンは、その祖雲の単刀直入な言葉に息が詰まりそうになった。
 異郷の地とはいえ、運と人に恵まれて、今はこうして妻も娶(めと)り、子にも恵まれ、暮らしている。しかし、彼は、自分の意思でこの国に来たわけではない。生まれ育った高麗(こうらい)の地を忘れた日などなかった。
 祖雲の語るところによれば、こういうことらしい。
 現在、京都に本拠を構える武家政権(足利幕府)が、鎌倉幕府の滅亡と非現実的な「建武新政」を通して長らく内乱状態にあったこの国を、おおまかながら制した。後世、「南北朝時代」と名づけられる時代も、その後、北朝を担(かつ)ぐ足利幕府の主導で収拾に向かっていた。その京都の武家政権が、内政の整備を一段落させ、自らの政権の正統性をアッピールするためもあり、ようやく周辺諸国との関係づくりに力を入れ始めた時期でもあった。
 その一環として、近年、賊によってこの国に掠致(りゃくち)されてきている外国人の被虜人(ひりょにん)の保護、送還に本腰を入れて取り組み始めたのだ。日本の幕府側の調査では、拉致被害者のほとんどは高麗人だった。被害地域は朝鮮半島南岸から中国沿岸地域にかけてが最もひどかったという。
 すでに、それ以前にも、地理的に高麗、中国と近く、都の公家や武家よりも外交感覚に優れた九州、周防(すおう)・長門(ながと)の有力者たちの手で、独自の外交関係を築き上げていた。その地域の有力者たちは、独自の外交ルートやコネクションを通じて、被虜人の所在情報を入手したり、転売先からの購入資金を富裕な博多商人に調達させるなど、何百人単位で外国人被虜人の保護・送還を実現させているらしい、とのことだった。
 被虜人の保護・送還事業は、今日でいう人道的な側面よりも、日本側有力者たちにとっては、被虜人の母国の政府からの何らかの見返りを期待しての性格が強かった。この送還事業を現場で実際に取り仕切っていたのは、ときの九州探題(きゅうしゅうたんだい)である今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)とか、周防・長門の有力者で外交センスに長けた大内義弘(おおうち・よしひろ)などであった。
 「高麗(こうらい)の朝廷政府の要請に応じる形で、わが国各地で奴婢(ぬひ)労働を強いられてきた外国人被虜人を奴婢身分から解放したうえで、本国に送り返しているらしい」と祖雲は説明した。
 「まあ、いまだ人身売買の全貌などはつかめていないらしいが、この出雲や隠岐(おき)の島あたりにも、ジェオンの同胞たちと思われる被虜人が大勢おり、人知れず奴婢扱いを受けておる、とのことじゃ」
 だが、この出雲の地でも、長い間、守護職(しゅごしょく)をめぐる内部抗争やら、国造家(こくそうけ)の惣領(そうりょう)争いと所領をめぐる武力衝突が絶えなかった。
 ライバルが北朝方に属する勢力なら、こちらは南朝勢につく、というような全国レベルでの争乱の縮図が、この地でも展開されていたわけだ。
 「ゆえに、被虜人(ひりょにん)の送還にまで手が回らなかった、というのがお偉方の物言いじゃ」と祖雲。
 「賊徒(ぞくと)のほとんどは、この国の内乱が生み出した連中でしょう。なのに、被虜人(ひりょにん)送還の見返りを要求するとは虫がよすぎはしませんか?! …」とジェオンは思わず口にした。被害者である彼にしてみれば当然の思いだった。
 ジェオンと何年かを共に暮らし、その思いがわかる祖雲は、ただ苦笑いするしかなかった。
 出雲では、守護職(しゅごしょく)が京極高詮(きょうごく・たかあきら)に落ち着いてから、ようやく領国経営が安定してきたところだった。ちなみに、京極高詮(きょうごく・たかあきら)という人物は、”バサラ大名”として後世に知られる佐々木道誉(ささき・どうよ)の孫に当たる人物だ。
 「先(せん)だって、その使者と名乗る御仁(ごじん)が寺に出向いてきての」と祖雲は言う。
 祖雲の説明では、帰国希望者を募っているのだという。ある程度の人数が集まり次第、美保関(みほのせき)から対馬(つしま)を経て、高麗(こうらい)に送還される段取りになっているらしい。
 ジェオンにしてみれば、これまでに母国・高麗に帰る機会がなかったわけではない。しかし、愛する妻にとってジェオンの母国は異国だ。アカネはついてきてくれるだろうか? …もしアカネが否(いな)と言ったら、自分はどうするだろう? …と、ジェオンは何度も心のうちで自分に問いかけていた。でも、はっきりしていることはある。アカネと離れ離れになるのはいやだ、ということだ。
 ジェオンは祖雲の話を聞いてからしばらくして、思い切ってアカネに相談した。
 「あなた自身はどうしたいの? 」とジェオンは逆にアカネに問われてハッとした。
 アカネは続けて言った。
 「あなたの生きる場所がどこであろうとも、そこが私の生きるところでもあるの。ましてや、あなたの生まれ育った国だもの」
 アカネは、昨年、祖父の吉兵衛(きちべえ)の最期を看取った。船乗りとして生きた一生だったという。それで、何か吹っ切れたのかもしれない。
 ジェオンは、女というものは一度腹をくくるとたくましいものだな、と感心したものだった。
 それからだ。アカネは高麗の言葉を学ぶようになった。もちろん最高の先生が身近にいる。幼子は適応力があるから向こうに行ってからでも何とでもなる、とアカネは言った。
 相手の国を知るには、まず言葉から。という祖雲譲りの教えをアカネはよく理解して、それを励みに夫の母国の言葉を学んだ。ジェオンにとっては、妻のアカネが語学の最初の生徒になった。

 ジェオンはあるとき、祖雲(そうん)の供(とも)をして美保関(みほのせき)の南にある安来(やすぎ)という港町に行った。
 かの地の領主、松田何某(なにがし)が、高麗からの漂着民ではないか?! という人々を保護している、という情報が入ったからだ。
 もしかして、自分が掠致(りゃくち)された人商人(ひとあきびと※)の遭難船の生存者かも…ジェオンはそう思った。そして、矢も盾もたまらず、祖雲に交渉の通事(つうじ、通訳)役を申し出たことがあった。(※人身売買のブローカー)
 現地に赴(おもむ)いた結果、その漂着民は高麗の漁船の乗組員たちだった。しかし、彼らは七年も以前に漂着した人々ではなかった。つい最近、富山浦(プサンポ、現・プサン)の沖合で操業中のこと。対馬(つしま)に根城をかまえる賊化した日本の落ち武者たちに捕らわれ、奴婢(ぬひ)としてかの地に転売されてきたらしかった。
 彼らは当地の守護(しゅご)を通じてまず博多に送られた。その後、九州探題の今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)が高麗当局に交渉して高麗に無事送還されたそうだ。
 さて、その安来(やすぎ)からの帰路のこと。
 ある川のほとりに神社があった。
 ”○○八幡宮”とみえる。
 ジェオンがかつて掠致(りゃくち)された倭寇船(わこうせん)が翻していた旗の文字に似ていた。
 祖雲に問うと、
 「お前が昔見たのは、たぶん”八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)”という旗じゃろう」という。
 この国の武人が昔から信奉している神だと言う。一説には、ルーツは朝鮮半島のほうにあるともいう。ジェオンはいずれにしても、いい思いはしなかった。彼にとっては、強盗集団の旗印そのものだった。
 その神社には、武内宿禰(たけしうちの・すくね)という人物が武神として祭られていた。
 ジェオンは、日本で暮らすなかで、この人物が仕えたという神功皇后(じんぐうこうごう)の話を知った。「古事記」「日本書紀」に出てくる話だ。この話に影響されている、この国の公卿や武家が、かつて朝鮮半島にあった国々の王様のことを”日本の犬なり”と言うのを聞いた。不愉快だったので、ジェオンはよく覚えている。よい機会だと思い、ジェオンはそのことを祖雲に問うた。
 「ああ、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐(さんかんせいばつ)の話か…」と祖雲は言った。
 ”神功皇后”は現在でこそ架空の人物とされているが、長い間、この国では根強く世間に広まってきた伝承だ。「古事記」では”オキナガタラシヒメ”と記している。”三韓(サマン、さんかん)”とは、かつて朝鮮半島南部に割拠した国々を総称した名称だ。馬韓(マハン)、辰韓(チナン)、弁韓(ピョナン)のこと。朝鮮半島南部に三韓が存在したのは紀元前後。”サミタラ”こと早田太郎(そうだ・たろう)が生きた当時からみても1400年も前の時代だ。「日本」という国はまだ存在していない。また、この”三韓”を三国時代の新羅(シンラ)、百済(クダラ)、高句麗(コグリョ)とする説もあるが、”神宮皇后(じんぐうこうごう)”という女性がそれらの国々を”征伐”したなどという史実はない。時代設定も支離滅裂で、いずれにしても、ヤマト政権成立後に作られ、「日本書紀」などに組み込まれた話だ。
 「まあ、実際とは違う、一種の伝承じゃな。誰がいつ言い始めたともわからぬ作り話よ。気にすることはない」
 「作り話、ですか…」とジェオン。
 「少なくとも、わしにとってはの」と祖雲は言って、愛弟子を見た。「そのような作り話よりも、わしの目の前でこうして実際に言葉をやりとりしておるお前という生身の人間こそが実の高麗人なのじゃ」
 祖雲はそう言ってジェオンの肩をぽんと叩いた。

 京都の幕府主導による、被虜人(ひりょにん)の高麗への送還の準備は着々と進められた。
 当初、送還船の出帆(しゅっぱん)は、北風で海が荒れる前に、という予定だったのだが、延期になった。受け入れ先のジェオンの母国で、大きな政変が起きたからだった。(つづく) 

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

管理人: uro
メール: uro (at) reki-tan.com
お問い合わせフォーム
リンクはご自由にどうぞ。

管理人プロフィール

最近のエントリ

PHOTOS

バックナンバー

LINKS