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あの頃のサミタラ :: 《8》

  • posted by: uro
  • date: 2010/03/07 AM12:00 (日)

 翌年のこと。彦次郎(ひこじろう)が亡くなった。いつものように網の手入れをしていた最中だった。ジェオンが声をかけても、何も答えない。不審に思ったジェオンが近づいて肩に手をかけた。すると、からだごと、ぐらっと傾いて地面に倒れた。すでに息がなかった。
 ジェオンは困った。まず誰に知らせるべきか。ジンベイと”早田(そうだ)の若(わか)”が浮かんだが、博多のほうへ出かけて不在だったことを思い出した。ジンベイの指示か、早田館(そうだかん)の手下が、たまに様子を見に来ることもあったが、ここしばらくは顔を見せていない。
 そんな時だった。彦次郎の息子だと名乗る男が小屋に現れたのは。
 「お前のことは聞いている。すでに、お前の身柄はオヤジ殿から譲り受けた」
 男はそう言って胸を張った。当時、奴婢(ぬひ)は一種の商品扱いだった。所有者が死ねば、その奴婢(ぬひ)の所有権はその近親者に移る。一種の財産分けだ。
 ジンベイを呼んできてくれ、とジェオンは応じた。
 「まあ、そう心配するな」と男は言った。「早田(そうだ)の館とも話はついてる。おやじの亡骸(なきがら)は引き取って荼毘(だび)にふす。俺と一緒に府中(ふちゅう)に来い」
 年かっこうは、生きていればジェオンの父親ぐらいだろうか。
 確かに、生前、ジェオンは聞いたことがあった。彦次郎には息子がいた。かの老人の話では、府中(現・厳原(いづはら))で所帯を持ち、海産物の行商を生業(なりわい)としていると聞いた。しかし、土寄(つちより)には、ほとんど寄りつかなかったらしい。何しろ、ジェオンが早田館(そうだかん)から売られて以来、一度も訪ねてこなかった。
 「俺のところでおとなしく働けば国にも返してやる。この島に居たければ仕事を世話してやる。府中(ふちゅう)は、ここよりずっと町じゃから仕事もいろいろある」と男は言った。
 少しの我慢だ、とか言って、その男はジェオンに、手枷(てかせ)、足枷(あしかせ)に加えて、眼かくしをした。やがて船着き場から彦次郎所有の小船に乗せられた。小船は浅茅湾(あそうわん)を進んで湾内のどこかに碇泊(ていはく)した。府中(ふちゅう)に行くにはいったん外海に出なければならない。
 「豆酘(つつ)沖をまわり込んで府中(ふちゅう)に向かうんじゃ」と男は言った。「この小さな船では外海を行けんからのう」
 どこかの港にあらかじめ碇泊していたのか、別の船に乗り換えさせられた。周りに多くの人間の気配がした。
 彦次郎の息子だと名乗った男は誰かとひそひそ話をしていた。
 どうやら大きな船の甲板の上のようだった。しばらくして目隠しが外された。ジェオンの目の前には見知らぬ男たちがいた。
 「あのう…ここはどこ? 」倭語(わご)でそう言って、ジェオンはきょとんとしていた。ジェオンの話す倭語はまだまだぎこちない。たどたどしく聴こえただろう。その様子をまるで小馬鹿にした表情で、ひとりの男が見ていた。どうやらジェオンの目隠しを外した男のようだ。ほかの連中は、酒をあおったり、干し魚をくちゃくちゃかじったりしてした。ジェオンはその場所にいることさえ無視されていた。彦次郎の息子だという男は、その場にはいなかった。
 「ここか? 極楽(ごくらく)、と言いたいところじゃが、地獄行き、だろうよ。売られたやつにとってはのう」男はそう言って口元をゆがめた。
 「売られたッて…誰が? 」とジェオン。
 「お前だよ! 」
 「さっき、おいらと一緒に来た男はどこですか? …」ジェオンは質(ただ)した。
 「ああ、あいつか。お前を売り飛ばして行ったやつのことか? 本土からの流れ者だ。さっさと米俵を受け取ると小船で引き返して行った」
 別の男が近づいてきた。いかにも屈強そうな大男だった。
 「さてと。お前も頭を坊主頭にするんだ。反抗すると痛い目にあうぞッ! 」
 その男はそう言うや、ジェオンの腕をつかんだ。
 ジェオンは自分が騙(だま)されたことにようやく気が付いた。その男によれば、彦次郎の息子だという例の男は対馬の島民ではないらしい。九州かどこか日本本土からの亡命者のようだった。早田館(そうだかん)と話が付いているなどは真っ赤なウソ。はじめから人商人(ひとあきびと)、つまり奴隷商人や人身売買のブローカーに売り飛ばす魂胆だったのだ。
 ジェオンは坊主頭にされ、”青斑(あおはん)”と呼ばれる倭人(わじん)の着衣を着せられた。ジェオンが売り飛ばされた奴隷船には、ほかにも何十人もの人々が拘束されていた。みな一様(いちよう)に坊主頭にされ、”青斑”という着衣を着せられていた。見た目では、高麗人か、対馬の島民かは分からない。
 すでに船は外海に出ていた。船は左手に陸地を望みながら、島の西側を南の方角に向かった。対馬の南端にあたる豆酘(つつ)湾の沖あたりだったろうか。ジェオンは島のほうを振り返った。海のなかから険しい山々がそびえたっているような景観だった。
 「ぐずぐずせずに、とっとと下に降りろッ!! 」
 この船に雇われている武装した連中がジェオンたちを船底へと追いたてた。
 対馬の南端が見えなくなった頃だ。舳先(へさき)に立って水路を確かめていた男が表情を曇らせてつぶやいた。
 「いや~な、塩梅(あんばい)だぜ、この風は…」
 男は、ひとつ身震いをすると、この船の船大将がいる望楼(ぼうろう)に足早に駆けて行った。
 しばらくすると、南西の方角からナマあたたかい突風とともに、黒雲があれよあれよという間に空を覆い尽くしていった。海原には三角波が立った。そして暴風雨が襲った。どうやら台風に巻き込まれたようだ。上のほうから人商人(ひとあきびと)や水夫(かこ)たち、護衛の傭兵たちの怒号や悲鳴が交錯して聞こえてくる。
 ジェオンは、船底で積み荷にしがみついて歯をかみしめているのが精いっぱいだった。
 ゴオオオオーッ、という不気味な音を聞いた直後だった。今まで天井だったところが思いもよらない位置に変わった、と思った瞬間だった。からだごとどこかに叩きつけられる衝撃が走った。彼はとっさに身を丸めて頭をかばった。
 それからしばらくの間、ジェオンには記憶がなかった。
 夢かうつつか、わからない。途中で気が付くと、船の残骸(ざんがい)のような板きれにすがりついたまま、大海原を潮の流れに任せて漂っていた。

 どれだけ時が経ったのだろうか。
 潮騒にまじって猫が鳴くような声が空のほうから聞こえてくる。ジェオンが目をひらくと陽射しがまぶしかった。
 <ここはあの世か? …それとも、これもまた、夢なのだろうか? …>
 彼はそう思った。
 晴れ渡った青い空に、白い雲がゆっくりと流れて行く。その空に白い鳥がたくさん舞い飛んでいた。
 あの鳥たちの鳴き声だったのか? …とジェオンはまだはっきりしない意識のなかで思った。
 <ああ…気持ちが悪い…>
 彼は海水をたっぷり飲みこんでいたようだ。誰かが自分のからだの位置を変えているような気がした。ジェオンは、嗚咽(おえつ)とともに海水を吐いた。
 突然、人の顔がジェオンの目の前にあった。おんな? だろうか。倒れていたじぶんのからだを横にしたりして海水を吐かせてくれていたようだ。周りに聞こえるほどの大声で何かを叫んでいた。やはり、おんなだった。それも若い娘のようだった。
 対馬で話されている言葉に似ていた。日本の奴隷船に売り飛ばされたこと。台風に遭遇したこと、などを思い出した。
 <まさか、テマド(対馬島)に吹き戻されてしまったんじゃないのか!? …>
 ジェオンは不安になって周囲を見回した。からだが思うように動かない。それでも、周囲の様子ぐらいはわかった。
 砂浜に波が打ち寄せている。かなたには紺碧の海が広がっていた。だが、対馬の沿岸でよくみられる荒々しい景観とは随分と違うようだ。
 やがて、何人かの人間が砂浜を踏みしめて近づいてきた。
 <南無観世音菩薩(ナムカンゼオンボサ)…>
 ジェオンは思わず口ずさんだ。そして、勇気を出して目をあけた。何人かの人の顔が目の前にあった。みんな心配そうな表情で覗き込んでいるようだった。着衣などの風俗は対馬とよく似てはいる。人々の顔は、ジェオンの生まれ育った巨済島(コジェド)の浦人(うらびと)にもよく似ていた。しかし、鎧具足(よろい・ぐそく)や武器を持ってはいなかった。その人々に何か戸板のようなものに乗せられて、どこかの家屋に運ばれたことはジェオンも覚えていた。
 意識が完全に戻ったとき、ジェオンは部屋のなかにいた。格子状の天上が見える。どうやら、寝かされているようだ。動こうとするとからだのあちこちが痛む。
 <ああ、生きているんだ! >そう思うと、涙が頬(ほほ)を伝った。
 明かりが灯っている。薄明るい部屋のなかで、近くに人の気配がする。目が慣れてきた。ふと、枕元を見ると、頭巾(ずきん)を被った人がいた。年老いた人だった。目線が合うと、その老人は何か言いかけたが、何を言っているか分からなかった。対馬で聞きなれた倭語だとは思った。
 すると、ここは日本のどこか、だろうか? …ジェオンは一気に不安に駆られた。
 その老人は、何を思ったか、いったんその部屋から出て行った。そして、しばらくすると、別のもうひとりの人物とともに現われた。もう一人も年配の男だった。僧形(そうぎょう)だった。
 <坊主か? …ここは寺の坊だろうか? …>
 ジェオンはただ茫然と仰向けになって彼らを見つめていた。僧形(そうぎょう)のほうがジェオンに向かって言葉を発した。
 「クェンチャナヨ? 」
 それは懐かしい母国の言葉のようだった。大丈夫か? と容体を尋ねられたようだった。ジェオンは首だけでこっくりとうなずいた。
 「ここはいったいどこですか? …」とジェオンは恐る恐るたずねた。
 「イルボン(日本)のウンジュ(雲州)じゃ」と僧形(そうぎょう)の人は答えた。
 ウンジュ? …日本のどこか、であることは確かだった。とにかく対馬ではなかった。
 しかし、日本の領域である。ジェオンは手放しでは安心できなかった。対馬に送り返される恐れだってある。
 彼の気持ちがそのまま表情から読み取れたのだろうか。僧形(そうぎょう)の人は再び言った。
 「クェンチャナヨ」
 こんどははっきりと聴き取れた。名前を問われたので答えた。僧形(そうぎょう)の人は隣りに坐っている老人とうなずき合っている。おそらく名前を聞いて、ジェオンのことを高麗人だと確信したのだろう。
 ジェオンはぬるめの白湯(さゆ)を飲まされた。次は、米かそば粉を湯で溶かしたおもゆを勧められるままに飲んだ。
 「まずは養生(ようじょう)する事じゃ」
 僧形(そうぎょう)の人は高麗語(朝鮮語)で言った。(つづく)

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