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あの頃のサミタラ :: 《6》

  • posted by: uro
  • date: 2010/02/17 PM10:19 (水)

 その頃だった。対馬(つしま)ではひと騒動持ちあがっていた。
 島民や土豪たちと本土からの亡命勢力との確執(かくしつ)が表面化していたのだ。
 「この島には天道(てんどう)シゲと言ってのう」と老人が言った。
 「人が勝手に住んではならぬ、荒らしてはならぬ場所があるんじゃ」
 在彦(ジェオン)少年も、そのしきたりはかの老人から聞かされていた。そういう場所が島内の各地にあった。
 ところが。本土から逃れてきた連中が、そういう地域に入り込んで木々を伐採(ばっさい)して土地を切り拓き、勝手に住みついていた。連中はいわゆる「征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)」、懐良親王(かねよししんのう)を担ぐ南朝方の残党だった。彼らは一時は九州全土を席巻するほど勢力を伸ばしたかに見えた。しかしその後、北朝擁する幕府方が今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)を九州探題に送り込んで以来、旗色が悪くなっていた。九州の政治、経済、外交の中心である博多、太宰府(だざいふ)をも奪還され、もはや昔日の面影もなかった。彼らは、土地の痩せたこの地で生き延びるため、兵糧集めと称しては目の前の隣国、高麗(こうらい)に賊となって押し入るようになっていた。
 なかには、島主である宗氏(そうし)のかつての主家に当たる少弐氏(しょうにし)ゆかりの侍たちもいたようだ。ときの守護職、宗澄茂(そう・すみしげ)は九州の筑前(ちくぜん)国の宗像(むなかた)に住んでおり、ふだんは対馬には不在だった。島民たちの訴えは島内各地を掌握している土着の豪族衆に集まる。浅茅湾(あそうわん)一帯の有力者は浦人を束ねる早田党(そうだとう)などだ。浦浦の寄合(よりあい)ではそういう亡命勢力、いわば”よそ者たち”への抗議の声が高まっていた。
 そんな中である事件が起きた。
 その日、ジェオンたちは共同作業に駆り出されていた。
 塩木山(しおきやま)で塩づくりのための燃料木を伐採して戻る途中のことだった。土寄(つちより)の港が見える場所だった。桟橋(さんばし)では、いつものように海賊働きによる荷の陸揚げ作業が行われていた。監督しているのは浦人たちから”早田(そうだ)の若殿”と呼ばれている若者だ。
 ジェオンが、ふと振り返った背後の雑木林の茂みに何か気配がした。
 イノシシか、シカか…いや違う。
 <なんだろう? >
 彼がその一点を凝視していると、何者かが弓矢をつがえているではないか。明らかに桟橋のほうを狙っていた。
 「ウィホマダッ(あぶない)!!」
 ジェオンは大声で叫んだ。矢は放たれていた。
 桟橋のほうを眺めやる。作業していた人々が身を伏せた状態で右往左往している。しかしそんななかでも、早田(そうだ)の若殿だけは見えるほうの片目だけでじっとこちらを凝視しているように見えた。彼の周りにいた警護の侍や水夫(かこ)たちが怒声を張り上げているのが聞こえた。誰か矢にあたったのだろうか。
 矢を放った何者かはすでに姿をくらましていた。
 ジェオンは早田館(そうだかん)の庭に連れて行かれた。
 ”早田(そうだ)の若殿”と思われる若者が正面で床几(しょうぎ)に腰をおろしていた。隻眼である。その隣りには通訳のジンベイが立っていた。
 隻眼の若者がジェオンをその片目で見据えて何事かを話した。目つきが異様に鋭い。
 「お前は、俺の命の恩人だ。お前の奴婢(ぬひ)身分を解いてやってもよい。ただし、条件がある。俺の手下として働く気があるか? 」
 通訳のジンベイが高麗(こうらい)の言葉で告げた。
 「皆を母国に帰してくれるなら…」とジェオンは応じた。
 ”早田(そうだ)の若殿”は、ジンベイの倭訳を聞きながら、口元をゆがめて薄笑いを浮かべた。その隻眼でジェオンを見据えたままだ。
 「若は、こう言っている」とジンベイはジェオンに向けて通訳した。
 「同胞を思うお前の心意気は、よしとしよう。だが、お前もこの島でこのまま朽ち果てるのは面白くあるまい? 」
 そして、最後にジンベイを介してこう言って床几を立ちその場を後にした。
 「まあいいだろう。時間はたっぷりある。気が変わったらおまえの主人、彦次郎(ひこじろう)にでも言うがよい…」
 通訳のジンベイは早田(そうだ)の若に従って去りかけた。が、ジェオンのほうを振り返った。何事かを言いたげな表情にジェオンには見えた。しかし、そのまま何も口に出さずにその場から去った。
 刺客(しきゃく)は明らかに早田(そうだ)の若を狙っていた。その刺客の正体も間もなく判明した。早田党(そうだとう)の手下たちが島民の協力を得て探索したところ、その刺客の男は本土からの亡命者の根城に出入りしているという。
 以前、島の娘を慰み者にしようとして早田(そうだ)の若に見とがめられ、半殺しの目にあった仕返しだったようだ。しかし、個人的な恨みというより、もっと政治的な対立の構図がこの島に出来上がっていたことは、当時のジェオンにも、早田(そうだ)の若にも、わかっていなかったが。
 その後、その下手人がどうなったか、ジェオンは知らない。

 そんな騒動があってから何日かたった頃。
 「まだ気は変わらぬか? 」
 通訳のジンベイがたったひとり、お忍びと称して、老人の小屋にやってきた。この間の、早田(そうだ)の若からの提案に対するジェオンの返答を求めてのことだった。
 ジェオンは相変わらず首を縦には振らなかった。
 「頑固な奴だな、お前も…」ジンベイは高麗語でそう言うと苦笑いした。
 「なぜ、あなたは倭人の手先みたいなことをしているのですか? 」とジェオンは思い切って質(ただ)した。
 「人には、それぞれできること、できないこと、があるのだ」ジンベイは一瞬、ムッとしたようだったが、冷静に応じた。
 どういうことなのか、とジェオンがさらに問うた。
 「この島で、早田(そうだ)の館で、同胞のために俺ができること。それが通事(つうじ)という仕事だ」
 ジンベイは言葉を選ぶように、しかしきっぱりと応じた。
 そして、ジンベイは、網の手入れに余念のない老人に駆け寄って何事かを伝えると、再びジェオンのところに戻ってきた。
 「俺が、どういういきさつで早田(そうだ)の大殿に仕えるようになったか、話してやろう」
 老人は網を片付けると、船着き場から小船でどこかへ出かけるようだ。その様子を見て、ジンベイは切り株でできた椅子に腰かけると、ジェオンにも楽にしろと言った。
 「于山島(ウサンド)を知っているか? 」ジンベイはジェオンにたずねた。
 于山島(ウサンド)とは、東海(トンへ)の武陵島(ムルンド。現在のウルルンド)の、さらに東に位置する孤島である。東海(トンへ)とは現在日本で言う「日本海」のこと。当時は日本側でも「日本海」とは呼ばれていない。ちなみに、現在「于山島(ウサンド)」という島の名前はないが、この島こそ今、日韓の間でもめている「竹島」(韓国名「独島(ドクト))のことだという説もある。
 ジンベイは、その島に罪人として流されていたのだという。いわば流人(るにん)だ。あるとき、早田党(そうだとう)が海賊働きのためその海域に侵入してきた。連中は官営や水軍の屯所などを襲撃した。当面の兵糧を確保するのが目的だったらしい。侵入者たちはジンベイの閉じ込められていた牢獄にもやってきた。彼は手鎖(てぐさり)、足枷(あしかせ)で拘束されたありさまだった。逃げようがなかった。彼はさすがにそのときは自分の命もこれまでと観念したという。
 ところが。早田(そうだ)の大殿、つまり”早田の若”の父親に当たる人物は、日本語は話せるのか、と高麗語で問いかけたのだ。ジンベイは、少しは話せると応じた。すると、この島では何が獲れるのだ? と問うた。ジンベイが、”水牛(スウ)”が獲れると応えると、首をかしげているので、それがどういう生き物か説明してやった。
 ”スウ”とはアザラシのこと。漢字文化圏では「海獣」と表記した。たまたま倉庫にあったその干し肉を食わせてやった。早田(そうだ)の大殿はそれを受け取るとくちゃくちゃと食った。好い塩加減だ。酒の肴にもってこいだな、と彼は言った。
 ジンベイが、その肉や皮は米や麦などと取引されるほど交易価値があるものなんだと教えてやると、人なつこい顔をしてにやりと笑った。聞きたいことだけ聞き出して殺すんだろうと思って覚悟を決めた。しかし、意外にも手下どもに命じて、ジンベイの手鎖や足枷を外した。そして、死を覚悟して茫然としていたジンベイに早田(そうだ)の大殿は身ぶり手ぶりで一緒について来いと促したのだ。
 于山島(ウサンド)は武陵島(ムルンド)とともに、かつての統一新羅(シンラ)王朝時代から「于山国(ウサングク)」として知られた。すでに10世紀の前半、その島民は新羅(シンラ)に替わって朝鮮半島を統一した高麗(コリョ)王朝に来献してその領域の一部になっていた。以後、長い間、開京(ケギョン)の中央政権からは”辺海の孤島”とみなされてきていた。農耕民の価値観からすれば、対馬と同じく、利用価値の乏しい島とみられていたかもしれない。中央の政争に敗れた人々を配流(はいる)することもあっただろう。
 実際に、西隣の武陵島(ムルンド)には、先代・恭愍王(コンミンワン)のもとで内政改革を断行した僧侶出身の辣腕政治家、シンドンの縁者が流罪になっていた。
 ジェオンも、当時の世間一般の話から”流人の島”という暗い印象を強く持っていた。(つづく)

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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