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あの頃のサミタラ :: 《5》

  • posted by: uro
  • date: 2010/02/14 PM 4:52 (日)

 「だれのこと? …」在彦(ジェオン)少年はまったく予想もつかなかったので老人に問うた。
 「館におる通事(つうじ)よ。お前の同胞(どうほう)でもある」
 老人によれば、かの男は今は「ジンベイ」という倭人風の名前を名乗っているそうだ。もちろん本名ではない。この対馬(つしま)に連れられてきた頃は今のジェオン少年と同じ境遇だったらしい。被虜人(ひりょにん)で早田(そうだ)の館で奴婢(ぬひ)をしていたらしい。いつのころからか、その語学力と交渉能力を認められ、早田館(そうだかん)直属の通訳として働いているという。
 「おお、すっかり話しこんでしまった」
 老人は手をかざして陽の位置を目測(もくそく)すると、修繕(しゅうぜん)していた網(あみ)を片付けはじめた。そしてさらに言った。
 「わしはこれから浦衆(うらしゅう)の寄合(よりあい)に出かける。そこの干し物を海鳥に盗まれんよう、よう見張っておれ。それは売り物じゃからな。つまみ食いすんな。夕方までには戻る…」
 老人は小屋にいったん入ると、着替えをして出てきた。これは決まりじゃから、と足枷(あしかせ)を付けられた。
 「いいか、逃げることは考えるな。今はおとなしくしているほうが賢い…」老人はそう言うと石で組んだ小さな船着き場から小船を出した。
 足枷(あしかせ)を壊せば、このままどこかで船を盗んで脱出できるかも…。そういうもくろみも、ジェオン少年の脳裏をかすめた。が、下手に動くより今はここにいるほうが安全かもしれない。そう思うことにした。話をしてみると、あの老人とて鬼には見えない。そう思いとどまった。
 ジェオン少年は老人の小屋ではさまざまな雑用をしていた。夕餉(ゆうげ)づくりもジェオン少年の仕事の一つだった。
 今日もジェオン少年は老人に教わったとおり夕餉(ゆうげ)をつくった。だいたい飯(めし)はヒエやアワなどの雑穀に海藻を混ぜたものだった。それに、ときどきは魚の干物や山芋、椎茸(しいたけ)などの煮物が付く。
 「言いたくなければ言わんでもいいが」
 老人は夕餉(ゆうげ)を食いながらジェオン少年に問うた。
 「お前はどういういきさつでここに売られてきた? 」
 ジェオン少年は、疎開先の晋州(チンジュ)の町が賊軍に襲撃、掠奪(りゃくだつ)されたことや家族を殺されたこと、弟とはぐれたこと、被虜人(ひりょにん)となって賊船に乗せられ、この島に売られてきたことなどを話した。
 老人は、ジェオンのとりとめのない話を辛抱強く聞いていた。時々顔をしかめたり、目をしょぼつかせたりしながら。
 「お前も散々な目にあったものよのう」と老人は言った。
 倭人(わじん)はなぜあんなひどいことをするんだ、とジェオン少年が質(ただ)した。老人は目を閉じてため息をひとつした。
 「昔の仕返し、のつもりなのかもしれん」と言い、百年前の蒙古襲来について語った。
 ”蒙古襲来”。日本側では”元寇(げんこう)”という名で知られる歴史的な大事件だった。ジェオン少年も父親など大人たちから昔話として知ってはいた。彼が生まれた頃、元朝(げんちょう)はすでに北方に追われ、高麗(コリョ)はその支配を脱してはいた。しかし、いつまた高麗に侵攻してくるかもしれなかったし、高麗にとっては脅威の対象ではあり続けていた。
 一方、日本側で最大の被害をこうむった対馬(つしま)では、”元寇(げんこう)”は蒙古と高麗が結託してやったこととして伝えられていた。対馬に限らない。当時の日本では、三別抄(サンピョルチョ)など高麗の抵抗勢力が最後まで蒙古軍の侵略に抵抗したこと。また、その粘り強い抵抗運動のために、日本への侵攻が何年か先送りになったことなどは広く知られることはなかったのだ。
 少なくとも、老人が若い頃は、その”蒙古襲来”を口実にして高麗に押し入っていたという。だが本当の理由は別にあったらしい。
 「主に狙うのは官営の穀物倉庫と年貢米を運ぶ漕船(そうせん)じゃ。わしらが駆り出された時分(じぶん)からやることはかわっておらん」
 それに、と老人は続けた。
 ここ何年か前から、日本の本土から得体(えたい)の知れない武装集団が対馬に流れてきているというのだ。この島にそのまま住みつく者もおり、なかには船団を組んで朝鮮海峡をしきりに往来している連中もいるらしい。あぶれ者や野伏(のぶせり)のような連中もいるが、彼らを率いている首領たちは鎧(よろい)、具足(ぐそく)で武装したれっきとした武士だという。
 ジェオン少年ははっと思い当った。晋州(チンジュ)の町を襲った賊軍はまさにそういう連中だったと。
 彼の脳裏にひとりの少年の姿が浮かび上がった。
 「ところで、あの子供は誰なんですか? 」とジェオンは老人に問うた。
 「太郎さまのことか」陸揚げ作業で港に駆り出されたときのことを話すと、老人はうなずきながら応じた。
 「まだ子供なのに偉いやつなのか? …」ジェオンが質(ただ)すと、老人は歯の抜けた笑顔でほくそえんだ。
 「早田(そうだ)の館の若様じゃ。元服(げんぷく)前とはいえ、大人に負けぬ海賊働き(かいぞくばたらき)をなさる」

 それからしばらくした頃、その大惨事は起きた。船の材料を伐り出す山での事故だった。伐採(ばっさい)した丸太を引き下ろす作業中、突然その上のほうで土砂崩れが起き、作業に駆り出されていた多くの被虜人(ひりょにん)が巻き込まれた。ジェオン少年は老人とともに網の修繕をしているときに早田館(そうだかん)からの使いによって知った。
 「はて、わざわざ早田(そうだ)の館からの知らせとはのう…? 」老人がけげんそうな表情をしていると、その使者は老人に向かって言った。
 「ジンベイさまから、特別に知らせてやれとのご指示じゃ」使者の男はそう言うと、もし亡骸(なきがら)の身元をその目で確かめたかったらついて来いと言う。
 ジェオン少年は、崔淳(チェ・スン)の身に何か起きたのでは? …と思った。老人は、ジェオンの涙目を見て、お前の好きにしろ、と応じた。
 事故現場近くに設けられた遺体置き場には筵(むしろ)をかけられた死体が次々に担架で運び込まれていた。死体はほとんどが被虜人(ひりょにん)だ。それを担架に乗せて泣きながら運んでくる人々も被虜人(ひりょにん)である。筵(むしろ)から手や脚がはみ出している死体もある。
 ジェオンが茫然としていると、ひとりの男が近づいてきた。早田館(そうだかん)の通訳だった。
 「こっちへ来い…」それだけ言うと、ジェオン少年を遺体が並べられた一角に案内した。そして、筵(むしろ)をかぶせてある一体の遺体を指差した。
 「大惨事だったが、やつの亡骸(なきがら)は運よく掘りだせた…」
 ジェオンが筵(むしろ)をめくるのをためらっていると男は言った。
 「運よく顔はきれいなもんだ…兄貴のようなもの、だったんだろ? お前の。好きなだけ別れを惜しめ…」それだけ言うと、男は近くにいた侍に倭語で何か声をかけるとその場を立ち去って行った。
 チェ・スンはまるでまだ生きているような顔つきだった。しかし全身は泥まみれだ。ジェオン少年はそのからだを揺さぶりながら大粒の涙を流して号泣した。
 土砂崩れで死んだ人たちの亡骸(なきがら)はその後どうなったのか? ジェオンは気がかりだった。あのままの姿でどこかに捨てられてしまっているのなら…そう思うと、子供心にやり切れない気持ちだった。何かの折、ジェオンは老人にたずねてみた。老人はいつものように無愛想な表情で網の手入れに余念がなかった。老人は作業の手を休めずに語った。
 老人が語るところによれば、死んだ被虜人(ひりょにん)の亡骸(なきがら)を高麗(こうらい)の見える場所に埋めてくれ、とジンベイが早田(そうだ)の殿に意見してくれたらしい。以前、老人がジェオンの生まれ故郷、巨済島(コジェド)がよく見えると言った佐須奈(さすな)というところの、山の頂上に葬られたとのことだった。何十体の亡骸(なきがら)が一緒にではあったが。
 「あそこからなら、故国のほうに夕陽が沈んでいくのを眺められるじゃろう…」老人はそう言って目を伏せた。
 ジェオン少年はその後も、老人の家で下人として働いた。
 老人は時々、早田(そうだ)の館に呼ばれているようだ。各地の奴婢小屋(ぬひごや)の顔ぶれも替わっているらしい。島内のほかの侍屋敷や寺社、あるいは島外へ転売されていったり、慣れない異域で病に倒れたり、崔淳(チェ・スン)たちのように作業中の事故に巻き込まれて亡くなったり…。そのたびに、島の豪族たちの海賊働きや人商人(ひとあきびと)を介して新たに補充されてきた人々もいた。塩木山(しおきやま)の伐採、海水運び、焼畑作りなどの共同作業には各地の奴婢小屋(ぬひごや)から被虜人(ひりょにん)が動員された。それは被虜人(ひりょにん)たちにとっては、貴重な情報交換の場でもあった。
 とくに、島外から新しくやってきた人々からもたらされる情報は貴重だった。ジェオン少年も、そういう人々の語る話から母国の情況などを、断片的ではあるが、知ることができた。
 高麗の朝廷も賊の横行に手をこまねいているわけではないこと。私利私欲に走るばかりで頼りにならない都の高級官僚や官軍に代わって、各地方で賊軍の撃退に名を挙げる新興勢力が登場していること。王朝政府も、日本本土の為政者に「倭賊取り締まり」を要請するため、何度も外交使節を派遣していること。かの日本国は内乱状態にあること。その内乱を終息させつつある勢力が高麗使節の要請に応じ討伐隊を派遣したり、日本で被虜人(ひりょにん)となっている同胞の保護、送還に着手し始めていること…などだ。
 「倭賊(わぞく)と一言で言っても」と、ある被虜人(ひりょにん)は語った。
 「その正体はさまざまじゃ。たとえば鎮浦(チンポ)での合戦。相手は何百艘の軍船に騎馬隊を含めて何千人規模の軍勢だったらしい。このテマド(対馬島)の土豪や島民とは思えぬ」
 「俺の出くわした連中は倭国風の鎧兜をした騎馬武者が左右に多くの歩兵を従えていやがった。あれはテマド(対馬島)じゃねえ。日本の本土からやってきた侍どもじゃ」
 「連中は山に立てこもると柵(さく)を造ったり砦(とりで)を築く。俺たちが麓(ふもと)から攻め寄せると、上から大木や大石を落としたり、石礫(いしつぶて)を投げたりする」
 「とにかく、戦(いくさ)ごとに慣れた連中じゃ。俺たち徴兵された百姓とは根っから違う」
 「奴らは食糧も馬もわが国に侵入してから奪う。ありゃあ、食うため、生きるために戦(いくさ)をしてるような連中じゃ」
 とりわけ、自分たちと同じ被虜人(ひりょにん)暮らしを強いられている同胞の保護、送還が、すでに日本国の本土では行われはじめている、という話は、うわさ話とはいえ、ジェオンは藁(わら)にもすがりたい思いで聞いた。
 また、新たな疑問もわいてきた。日本国が内乱状態にあるのはわかった。その敗色の濃い側の残党が、この島などに逃げ込み、ここを根城にして高麗沿岸を掠奪しているのだという。
 では、この島の土豪たちはいったいどちらの味方なのだ? 高麗の「倭寇取り締まり」要請に前向きな日本の勢力は、この対馬に影響力を及ぼせないのか? …(つづく)

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