ある日のこと、老人に早田(そうだ)の館の広場に連れて行かれた。
何をされるんだろう…と在彦(ジェオン)少年は不安でいっぱいだった。
広場には、すでに多くの人々が集まっていた。みんな頭の髪の毛を短くされている。坊主頭だ。そこに集められたのは、ほとんどが拉致(らち)され転売されてきた被虜人(ひりょにん)だった。対馬島では、奴婢(ぬひ)扱いの被虜人はみな一様に坊主頭にするらしかった。逃げてもすぐにわかるようにするためだという。
「アンニョンハセヨ」と後ろから声をかけられた。久し振りに聞く母国の言葉だった。
振り返ると水夫(かこ)の崔淳(チェ・サン)がいた。
この島に売られて一ト月余り経った頃だろうか。領内の下男、下女、奴婢(ぬひ)などが共同作業のために動員されることがあった。この島の経済を支える重要な産業の一つである塩づくりのための作業である。作業内容は、浦浦の背後にある山々から木々を伐り出すことだった。当時の塩づくりには海水を煮立てるため、多くの燃料となる木材と多くの労働力を必要とした。塩づくりのために必要な燃料木を産する山を当時は”塩木山(しおきやま)”と呼んだ。
とくに、これからの夏場は、潮汲み、塩田(えんでん)への海水の散布(さんぷ)などなど一連の作業が控えており、猫の手も借りたい忙しさとなるのだ。
「ま、こんなところでお互い元気か、もないか…」崔淳(チェ・サン)はそう言って苦笑いした。彼は周囲を注意深く見渡してさらに続けた。
「やつらが何のために俺たちをさらってきたか、わかろうというもんだ…」
彼は顔も腕も足も真っ黒に日焼けしていた。毎日、近くの船着き場で、ひっきりなしにやってくる船の荷の積み下ろし作業をさせられていたようだ。
しばらくすると、広場を見下ろす縁側に板敷きを踏み鳴らして数人の男たちが現われた。
縁側の、ちょうど中央あたりに、二人の男が立ち止った。そのほかの連中は、その両側を固めて、片膝をついて控えた。
中央の立ったままの二人は折烏帽子(おりえぼし)をかぶり、直垂袴(ひたたれ・はかま)姿だ。そのうち一人は刀を持っている武士(ムサ)だ。もうひとりは、同じようないでたちだが、武器らしきものは持っていない。
刀を持っているほうの男は、広場に集められた人々をぐるりと見渡すと、ゆっくり書物を読むように話し出した。意味はわからない。おそらく倭語だ。
その男が途中で話すのをやめると、隣りにいるもう一人の男が話し始めた。高麗(コリョ)の言葉だった。どうやら通訳のようだ。衣服は日本風だが、ジェオン少年には同じ高麗人に思えた。
これから”シオキ山”に入って木を伐り出す作業をやる。年少の者は薪集めとか、できることをやれ、と言う。一通り下知終わると、くれぐれも忠告しておくがと前置きをしてこう言った。
作業中は、特別に枷(かせ)や鎖(くさり)は外す。だが、逃げようなどと馬鹿なことは考えるな。後で必ず後悔することになる。脅しだ。
ジェオン少年たちは縄で数珠(じゅず)つなぎにされ、”シオキ山”に向かった。
「あの通事(つうじ)、高麗人だな、たぶん…」
途中、見張りがそばにいないときを見計らって、崔淳(チェ・スン)がすぐ後ろにつづくジェオン少年に言った。彼はジェオン少年がうなずくのを見るとさらに続けた。
「シオキ山とはよく言ったもんだ」
ジェオン少年がきょとんとしていると、崔淳(チェ・スン)はいたずら小僧のような表情で言った。
「同じ小屋のやつから教わったんだが、倭語で”シオキ”とは”仕置き”のことでもあるそうだ」
「それって、どういうこと? …」ジェオン少年が首をかしげる。
「罪人を懲らしめることさ」と崔淳(チェ・サン)は応じた。じぶんたちは何も悪いことをしていないのに! …ジェオン少年の心にふつふつと怒りが込み上げてきた。やり場のない怒りだった。
連日続いた”シオキ山”での労働はきつかった。もっとも、ジェオン少年などは現場で切り落とされた枝などを集めたり束ねたりという作業ぐらいしか間に合わなかったが。一日の作業が終わり、館の奴婢小屋(ぬひごや)に連れ戻される頃には、みな何をするのもいやになるほどこき使われた。少しでも気を抜いたり、こっそり休んでいるところを見張り番に見つかろうものなら、鞭や棒で殴られた。
<何のために俺たちをさらってきたかわかろう>という崔淳(チェ・サン)の言葉が、子供ながらに身にしみた。
燃料木の伐り出し作業が一段落すると、木々を伐採(ばっさい)した後の土地を掘り起こして焼畑(やきはた)にする。この作業にも、おとな、こどもの別なく駆り出された。ほとんどが内海に面した傾斜のある場所だ。海岸の波打ち際から見上げると、山の中腹にへばりついているような場所である。もちろん米などは育たないだろう。ソバ、ヒエ、アワ、山芋など、やせた土壌でも育つ作物の種をまくのだ。
<連中は奴婢(ぬひ)にする人間と兵糧(ひょうろう)にする米を奪っていくんだ! >
倭賊の襲来が激しくなるなかで、故郷の巨済島(コジェド)から晋州(チンジュ)に疎開した頃。なぜ彼らは高麗(コリョ)を襲いに来るのか、と父親に問うたとき、吐き捨てるように言った父の言葉がよみがえった。
その日の強制労働が終わって奴婢小屋(ぬひごや)のむしろに寝転んだとき、板塀の隙間から月が見えた。触ったらスパッと斬れそうな鎌のような三日月だった。
<英学(ヨンハ)はいったいどうなったんだろう? 今頃、どこかで、この月を見ているんだろうか? …>
ジェオン少年の頬に涙がぽろぽろ流れ落ちた。月が霞んで見えなくなっていった…
塩づくりも佳境(かきょう)を迎えた。夏本番である。
対馬島の浦浦では、潮汲み、塩田への海水の散布、濃縮海水の溶出、塩釜での煮塩(にしお)と、多くの人々が立ち働いていた。「塩釜」と呼ばれる製塩所での仕事は経験と熟練を要するものなので焼塩作業に携わる専門の職人衆が行う。奴婢(ぬひ)となっている人々は、主に潮汲みなど単純労働をさせられる。彼らは頭髪を剃られ坊主頭にされている。だから逃げ隠れしても見分けがつくようになっていた。
潮汲み車を引く崔淳(チェ・スン)がいた。その車の後ろを押して手伝う子供はジェオン少年だった。
桶(おけ)の中身は海水だ。古来より対馬は塩づくりが盛んだが、広い遠浅の砂浜がほとんどない。だから満潮時にも海水に浸からない工夫が必要だった。高台に塩田が作られた。
海水は真水よりもことのほか重い。奴婢(ぬひ)たちは海岸と塩田の間を一日に何回も往復させられる。働き盛りの者でも大変な重労働だった。
「腹、減ったーッ! 」それがジェオン少年の口癖になっていた。
「毎日毎日、海藻入りのかゆや雑炊(ぞうすい)ばかりではなあ…」崔淳(チェ・スン)が振り返って同意する。「育ち盛り、食べ盛りのお前にはきつかろう」
かゆ、雑炊といっても米ではない。ヒエやアワなど雑穀(ざっこく)だ。
「おいッ! 何を話している。とっとと働けッ! 」
二人は後ろから怒鳴られた。いつもの見張り番が突っ立っていた。
倭語は身を守るためにあいさつ程度は覚えた。が、早口でまくしたてられると意味不明の騒音でしかない。
見張り番の男は手に持った棒を振りかざしてジェオン少年たちを威嚇(いかく)した。
崔淳(チェ・スン)が見返した視線が反抗的に感じたのか、虫の居所が悪かったのか、その棒で彼に打ちかかった。
崔淳(チェ・スン)は間一髪でかわした。見張り番の男はバランスを崩して倒れそうになった。近くにいたほかの奴婢(ぬひ)たちがはやしたてた。
男は恥をかかされたと思ったか、こんどは弱い立場の、子供のジェオン少年を狙って打ちすえようとした。
「やめるんだッ! 」
すぐ後ろで違う男の声がした。
見張り番の男は、その男に気付くと、ジェオン少年に打ちかかるのをやめた。
見張り番の男はその人物と倭語で二言三言言葉を交わすと、肩をすくめて気まずそうに舌を出した。そして、船着き場のほうへと足早に走り去っていった。
どこかで見かけたことがある、とジェオン少年は思った。早田(そうだ)の館で通訳をしている男だった。
「若(わか)が、もうすぐ遠征から戻ってくる。荷降ろし作業を優先するから今の作業は中断していい。全員船着き場に集まれ、とのことだ」そう高麗語で言った。
「俺たちも行くのか? 」
崔淳(チェ・スン)がそう念を押すように質(ただ)す。
通訳の男は表情を変えずにうなずいて、二人についてくるように促した。
ジェオン少年は崔淳(チェ・スン)と顔を見合わせ、その通訳の男のあとに従った。今はそうするしかなかった。
「ワカって、なんだ? …」と崔淳(チェ・スン)が問うた。
「来ればわかる」
通訳の男はそう事務的に言うと、黙々と歩きだした。(つづく)


