プロローグ
ここは乃而浦(ネイポ)。朝鮮半島南岸の港町。現在の慶尚南道(キョンサンナムド)の鎮海(チネ)市。
ときは朝鮮王朝第四代・世宗(セジョン)八年(西暦1426年)のこと。
当時は富山浦(プサンポ、現・プサン)より規模が大きかった。海が深く内陸に入り込んでおり、天然の良港として広く知られた。
集落の北の内陸寄りに「倭館(ウェガン)」が見える。「倭館」とは、交易を求めて来航する日本人(ほとんどは対馬島民)との実務交渉を担当する役所であり、接待所と商館を兼ねていた。
初夏のさわやかな日和だった。ひとりの初老の男が、その官舎の窓から熊川(インチョン)湾のほうを眺めている。
男の名前は金 在彦(キム・ジェオン)という。二年前、王都・漢城(ハンソン、現・ソウル)の司訳院(通訳局)から赴任してきた主任通訳官だ。
熊川(インチョン)湾の南のかなたには、彼の故郷、巨済島(コジェド)がある。水軍基地のある要衝(ようしょう)だった。
彼は、目線を手前のほうの海岸沿いに移した。目線の先には、集落が占拠するように固まっている。
<どんどん増え続けているような気がする…>
そう彼は心のなかで思った。
その集落は、朝鮮式の、城壁のある城邑(ソンウプ)ではない。いわゆる「倭人居留地」と呼ばれるものである。
もともと、平野部はそんなに広くはない土地柄なのだが、茅葺屋根(かやぶきやね)に土壁の家屋がびっしりとへばりついている。
彼は、いつもその景観を見るたび複雑な思いにかられるのだった。
もっとも、彼にしてみれば、毎日同じ景観を見ているわけだからひと月単位ではぴんとこないが、一年単位でみれば確実に増えているな、と彼は思う。
彼、キム・ジェオンの半生は、倭人とのかかわりあいを除いては語れない。十代の頃、住んでいた町が倭寇(わこう)に襲われた。父母を殺され、逃げる途中に弟とはぐれて賊軍に掠致(りゃくち)され、対馬で奴婢(ぬひ)として働かされた経験を持つ。
彼にとっては、この世の終わりのようなつらく、理不尽な出来事である。が、その波乱の体験が今の地位につながっていることもまた事実だった。社会的に低い階層の出自だった彼が、科挙(クァゴ)の試験を受けるチャンスを与えられたのも、倭寇相手に決然として抵抗して殺された母親のおかげだった。
熊川(インチョン)湾に一艘の倭船が入港してくるのが見えた。
「あれは…」
ジェオンは窓から思わず身を乗り出して目を細める。彼の脳裏には、ひとりの倭人の、不敵な面構えが浮かんだ。
「サミタラ! …」
彼は、その男の、この国での通称をはっきりと口に出した。
早田左衛門太郎(そうだ・さえもん・たろう)。
その名、「左衛門太郎」は、朝鮮語ではそう発音するのだ。ゆえに、当時はよく「三味多羅」という漢字を当てられた。
早田(そうだ)氏は、かつての対馬(つしま)の海上豪族、つまりは日本の都の連中が言う海賊衆だ。サミタラも、高麗(コリョ)時代、この国の人々から「倭寇(わこう)」と恐れられたひとりである。その彼も、今は朝鮮王朝から官職を受けた「受職人」であり、対馬の有力者でもある。
かつて、キム・ジェオンのように、対馬など日本の領域で被虜人(ひりょにん)暮らしを味わった人々はかなりの数にのぼったという。母国に無事送還された人々はほんの氷山の一角だろう。高麗(コリョ)王朝の時代が終わり、朝鮮王朝の世に改まっても、朝鮮半島で生きる人々の脳裏から「倭寇(わこう)」の悪夢が消え去ることはなかった。ジェオンもその生き証人のひとりである。長い歳月が経ってなお、今も夢でうなされる生々しい記憶は生涯消え去ることはなかった。
とくに先代の高麗王朝末期、朝鮮半島の人々は内憂外患に苦しんだ。
北からは女真族、南からは倭寇(わこう)。なかでも、後世「倭寇」と称される武装強盗集団は、弱体化していた高麗国を格好の標的にした。政情不安定だった辛禑王(シンヌワン)の治世が最悪の時期だった。
彼らは、当時言うところの「海東(かいとう)」、つまりこの国から見て海の東、日本の領域からやってきた。武装強盗集団を構成する連中の出自はさまざまだ。しかし、その多くは明らかに将に率いられた武士団だった。何十艘、何百艘という規模の船団を組み、朝鮮海峡を渡って襲来した。連中の目的ははっきりしていた。兵糧に使う穀物と奴婢(ぬひ)として転売する人間の掠奪だ。
巨済島(コジェド)育ちのキム・ジェオンにとって、目と鼻の先にある対馬は一番近い異域だった。島の東岸の山に登れば、晴れた日には海のかなたにその対馬が見えた。対馬島。朝鮮半島の人々は「テマド」と呼ぶ。それは黒々とした山ばかりにしか見えない島だ。彼が育ち盛りの頃は、倭寇(わこう)の跋扈(ばっこ)がますます激しくなっていった時期であった。
多感な子供だった彼には、対馬は恐ろしい鬼の住む島そのものに思えたものだった。
当時、日本以上に内陸型の農耕社会だった高麗国では、半島本土に土地を持たない漁民など海を生業(なりわい)の舞台とする人々が賤視(せんし)された傾向が強いといわれる。キム・ジェオンの一家が倭寇(わこう)の襲来を受けたのは、同じ慶尚道(キョンサンド)の、少し内陸部にある晋州(チンジュ)という町でだった。
晋州(チンジュ)は南江(ナムガン)の北岸にある城邑(ソンウプ)である。当時、すでに1300年以上の歴史を持つ古都だった。
いっこうにおさまらない倭寇(わこう)の跋扈(ばっこ)に対処するため、南江(ナムガン)に沿って石城に改修される直前の出来事だった。巨済島(コジェド)など半島南海の多島海(タドヘ)一帯は、もっとも倭寇(わこう)の被害を受けやすい地域として高麗朝廷から指定されていたので、中央政府の指示で郡県の役所以下、集落ごと晋州(チンジュ)に移住していたのだ。だが、その頃すでに倭寇(わこう)の跋扈(ばっこ)は内陸部にまで及んでいた。
ジェオンの父親は疎開先の晋州(チンジュ)で、小さいながら借家を改造して竹製品など日用用品を扱う仕事をしていた。騒然とした世情のなか、暮らしぶりは貧しかったが、親子四人、ともかく身を寄せ合って新天地で新しい暮らしに慣れてきた矢先だった。
その日も同じ時節だった。
在彦(ジェオン)少年はいつもより早く目が覚めた。
前夜は満天の星空が見えた。良い日和になるはずだった。何やら外が騒々しい。
「こんな早くから何事だ!?…」
父親が目をこすりながら寝室から顔を出し、上着を肩に引っ掛けたまま外のほうに出て行った。
「かあさん、子供たちを起こせ!!」
すぐさま戻ってきた父親は叫んだ。母親はにわかに事情が飲み込めないで、寝ぼけまなこで放心していた。
「賊軍だッ! 非常呼集だ!」と父親が叫んだ。
ジェオンはすでに目が覚めてしまっていた。彼はとなりでぐずっている弟の寝具をめくりあげてたたき起した。
わけがわからず泣き出す弟をなだめながら上着を着せた。そして家族そろって外へ飛び出した。
通りにはすでに人があふれ、逃げ惑っている。緊急避難を知らせる鐘が町内に響き渡り、町を見下ろす砦の上からは烽火(のろし)が上っている。
やがて、近所に住む顔見知りの町の人たちが集まってきた。
「裏門は確保してある。女子供、老人たちを先に山のほうへ逃がそう!」
「衛所の役人たちは何してるんだッ!?」
「ダメだッ! もうやられた」
「おれたち戦える男だけでも何とかしないと…」
「でも丸腰じゃどうにもならん」
「武器はあるのか?」
「ここにある…衛所から無断で持ち出してきた…」
「そりゃ、まずいぜ…後でどんなお咎めがあるか…」
「今はそんなこと言ってる場合じゃなかろう!」
「やむを得んな…」
町の男たちは口々に言い合うと、刀などの武器をジェオンの父親にも手渡した。(つづく)
『あの頃のサミタラ』のエントリ


