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玄長秘話 :: 《11》

  • posted by: uro
  • date: 2011/12/05 AM12:02 (月)

 ルイス・コインブラが乗船してきたマカオ定期船の名前は、通称マードレ・ヂ・デウス号といった。
 翌年の慶長(けいちょう)十五年(1610年)正月、マカオ事件の報復(ほうふく)に乗り出した有馬晴信(ありま・はるのぶ)の兵船三十艘による包囲攻撃を受け、長崎湾口の近くで大爆音とともに900トンクラスの巨体を海に沈めた。
 有馬晴信と長崎奉行による謀(はかりごと)に陥るのをいさぎよしとしなかったマカオ総督、アンドレ・ペッソーアが、帆(ほ)を焼かれて航行不能となったデウス号の火薬庫に火をつけさせ、自爆の道を選んだ、と報じられた。ほとんどの乗組員が船と運命をともにしたと伝えられる。
 彦一(ひこいち)も、長庵(ちょうあん)や町の人たちにまじって現場に向かった。
 彼らが現場に着いたときには、湾の入り江を白っぽいものが波間(なみま)に漂っているばかりだったが。
 その”白っぽいもの”は、おそらく、デウス号がマカオから満載してきた生糸(きいと)だろう。
 「なんということを…もったいない…」
 見物人の一人が、誰にともなくつぶやいた。
 「こりゃあ、上方(かみがた)や江戸じゃ、唐糸(からいと)の値が天井知らずになりまっせ」
 大坂から来ていた商人が、神妙な表情で、まわりのヤジ馬に向かって言った。
 この事件のあと、マカオ定期船は途絶えた。
 デウス号の、乗組員たちの遺体はどうなったのだろうか?
 長庵は、街の人々とともに、長崎奉行所やイエズス会の会所(かいしょ)などにかけ合って、共同墓地をつくるよう要請した。宗門こそ違うが、同じ人間ではないか、と訴えた。奉行所側は、つくりたいのならお前たちで勝手にせい、という。
 結局、イエズス会や町の有志の人々が資金を出し合い、港を見渡せる丘の一角にささやかな石碑(せきひ)を設けた。
 やがて。しばらくたってから、マカオ当局が、貿易再開交渉のために使節団を派遣(はけん)してきた。その船には、デウス号爆沈事件に巻き込まれた乗組員の遺族たちが便乗(びんじょう)してやってきていた。
 しかし、彦一や長庵たちは、コインブラの妻子(さいし)らしい母子をそのなかから見つけることはできなかった。
 この事件は、日本とポルトガルの国益をめぐる単純なものではなかった。それは、その二年後の春節(しゅんせつ)のあと、一挙に表面化した。
 爆沈事件の際、長崎奉行の配下だった岡本大八(おかもと・だいはち)の「朱印状偽造(しゅいんじょうぎぞう)および詐欺容疑(さぎようぎ)」、そして、有馬晴信による「長崎奉行暗殺計画」の発覚である。
 それらは、有馬晴信が派遣した朱印船(しゅいんせん)の乗組員によるマカオ騒乱事件から芋(いも)づる式にからまりあっていたのだ。
 海外交易、とくに、マカオの中国産生糸が生み出す莫大(ばくだい)な利潤(りじゅん)を得てきた有馬晴信と、長崎奉行を使って「生糸の将軍先買い権(しょうぐんさきがいけん)」を強めたい幕府との対立の構図が白日(はくじつ)のもとにさらされたわけだ。
 「駿府(すんぷ)の大御所(おおごしょ)さまは、異国との交易が莫大な利潤を生むことをよくわかっておられる。もし大坂方と手切れとなり合戦にでもなれば莫大な費用がかかる。だからこそ、東国にせよ、西国にせよ、あちこちの諸大名が勝手に大船を造ったり、自前の交易で富強になることを警戒(けいかい)しておるのじゃ。その点、有馬どのも、岡本どのも、見極めが甘かった、としか言いようがない」
 長庵と親しい町のある顔役(かおやく)は語ったそうだ。
 「それで、おふたりはどうなったのですか? 」と彦一は長庵に問うた。
 「岡本どのは駿府に送られ、有馬の殿は甲州のいずれかへ流されたらしい…」と長庵は応じた。とくに、岡本大八は、患者として縁があった人物だけに、長庵としても後味の悪い事件だったようだ。
 しかも。この一連の騒動で、長崎でも、マカオでも、大勢の人々が巻き込まれて非業(ひごう)の死を遂げたのだ。それを思うと、彦一もやり切れない思いだった。
 「ルイさんは、はらいそ、とやらに行けたでしょうか? 」と彦一が長庵に言った。
 長庵は、彦一のほうを見てうなずくと、
 「あの人は、じぶんの信ずるところに従っていのちをまっとうしたんじゃないかな…」と言って涙をぬぐった。
 彦一はヤソ教(キリスト教)やキリシタンの信仰自体を理解しているとはいえなかったが、コインブラを一人の人間として尊敬していたようだ。
 有馬晴信や岡本大八も熱心なキリシタンだったという。彦一の母もキリシタンだった。そして、彼の実の父親である男も、以前はそうだったらしいと伝え聞く。幼少の頃、故郷・対馬を追われた彦一と母親の生活を支えてくれた、もと小西浪人(こにしろうにん)の六兵衛(ろくべえ)や三郎太(さぶろうた)たちもヤソ教の信徒だ。
 彦一自身も、神とか仏とかはいるかもしれないとは思う。しかし、自分の命をかけるような絶対的な何かにすがるという信仰はもてなかった。
 初夏のさわやかな、ある日。
 デウス号爆沈事件の犠牲者を弔(とむら)う墓石の前。若いひと組の男女が手を合わせていた。
 彦一と、もうひとりは薬種問屋・長寿堂(ちょうじゅどう)の娘、綾香(あやか)だった。
 「あなたのお母さまもキリシタンだったの? 」と綾香が問うた。
 彦一は墓石の向こうに広がる長崎湾をみつめながらうなずく。
 「きっとおもいやりのある、優しいお方だったのでしょうね」と綾香。
 彦一は綾香のほうを振り返って再びうなずく。
 綾香は、本当のお父様は? とたずねようとして、口には出さずに晴れ渡った空を仰いだ。
 <私の父上はただひとりだけ。長庵先生だ>
 彦一はそう言うと、いつも押し黙ってしまう。綾香は、以前彼に同じ質問をしたことがあった。でも、彼はそのたびに不機嫌になった。綾香も、彦一が長庵夫婦の実の子ではないことは承知していた。人には、ひとつくらい、他人様に言いたくないこともあるものじゃ、と長寿堂の父親にたしなめられたことが彼女の脳裏(のうり)をよぎった。
 「あなたの夢はなに? 」と彼女は彦一にたずねた。
 「夢かあ…」と彦一は応じ、「まずは一人前の医者になること。それから…」と彼は綾香の顔を見つめ、はやくじぶんの家族が欲しい、と言った。
 「じぶんの、家族? …」綾香が聞き返す。
 「綾香、家族になってくれないか? 」そう、彦一は顔を赤くして彼女に告げた。

 長庵診療所の近くの借家で、若夫婦が新しい生活をはじめていた。彦一と綾香だった。
 彦一は長庵の診療所に勤務医として勤めていた。また、綾香は看護手伝いとして同じく診療所に通うようになっていた。
 ある日のこと。彦一が出張診療から診療所に戻ってくると、長庵が、ちょっと奥へ、とうながした。
 いつもの長庵とは少し様子が違った。眉間(みけん)にはしわを寄せ、何か思いつめた表情だ。
 「どうも宗玄(そうげん)どのの容態(ようだい)がよくないらしい…」
 開口一番、長庵が彦一に向かって言った。
 聞けば、先ほど、宗玄に頼まれたという若い侍(さむらい)が知らせに来てくれた、とのことだった。しかし。その若者がどこの誰とも問いただす暇(いとま)もなかったらしい。
 「わしも行きたいが、今は留守にできぬ」と長庵は言った。「お前だけでも、先に行ってこい」
 宗玄は隣町に住んでいた。長庵に彦一が預けられて六年が経っていた。表だっては行き来はなかったものの、長庵を通じて彦一の成長を見守ってくれていたのだった。
 何と言っても、幼少の頃の彦一を知る数少ない人物だった。
 先だっても、綾香との祝言(しゅうげん)のとき、長庵の知り合い、ということで列席してくれたのだ。
 昨年は、対馬(つしま)時代から長年連れ添った奥方(おくがた)を病で亡くし、子供がいなかったので、今は一人住まいのはずであった。
 彦一はすぐさま宗玄の家に急いだ。(つづく)

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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