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楽浪の志賀

  • posted by: uro
  • date: 2011/09/18 PM11:34 (日)

 おやじのおやじは滋賀県で生まれ育った人だった。<どんな所で育ったんだろう? >という思いはいつもあった。
 祖父がよく口にした言葉で覚えているのが「ごうしゅう」とか「うみ」という言葉だ。「ごうしゅう」は「江州」。滋賀県の別名で近江(おうみ)の通称。「うみ」は琵琶湖のことで、これは今でも地元の人ならよく使う。
 そういえば、今の県名になっている「しが」は「志賀」とも表記した。琵琶湖の西側、湖西では今世紀初めまで「滋賀郡志賀町」という表記もあった。複数あるから当て字のようだ。
 そして、志賀といえば”さざなみの志賀”。「さざなみ」は漢字では「楽浪」と表記した。だけど「らくろう」とは言わない。『万葉集』をはじめ、昔の歌によく出てくる言葉だ。あの『琵琶湖周航の歌』のなかにも登場する。わが国では、「楽浪(さざなみ)」は特に意味はなく、「志賀」や「大津ノ宮」、「比良山」などにかかる単なる枕詞(まくらことば)だと教えられてきた。
 しかし、もっと視野を広くしてみると、朝鮮半島に同じ地域名があったのだ。「楽浪(ナンナン)郡」だ。紀元前、中国の漢が衛氏朝鮮(ウィシチョソン)を滅ぼした後、役人を派遣して朝鮮半島の一部を支配した。その四つに分割支配した郡のうちの一つが「楽浪郡」だった。その中心都市は、のちに平壌(ピョンヤン)と呼ばれる。
 楽浪郡は紆余曲折を経て約400年存続したが、漢の植民地のような存在だったため、はじめから土着勢力の抵抗が強かった。やがて古朝鮮の復興をめざす高句麗(コグリョ)によって紀元後313年に併合される。その頃の楽浪郡の支配層にとって本家・中国はもはや縁遠い存在だ。とっくに漢も滅び、しかも乱世の真っただ中。「五胡十六国時代」へ突入する直前の分裂時代だ。一方、その頃の列島側はどうか。統一国家などありえない。「古墳時代」などと名付けられる混沌とした状態だ。高句麗に支配されたくない人々は列島側に続々と亡命、移民したことだろう。
 地名には先人たちの想いが宿るという。だから何らかのつながりがあるはずだ。
 今日、「さざなみ」という言葉は、ご当地では、物産店の名称に使ったり、湖北から湖東にかけての琵琶湖沿いの街道の通称に使ったりしている。
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彦根市郊外の琵琶湖沿岸から市街地方面を望む。


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滋賀県に海はない。でもこれは、まさしく”うみ”だ。


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犬上川(いぬがみがわ)が琵琶湖に注ぐあたりで。


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湖東平野は近畿屈指の米どころ。中世、京都が消費した約半分を供給していたとか。後ろは荒神山(こうじんやま)。昔は山城があったらしい。

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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