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八丁味噌の故郷で味噌料理を食べた

  • posted by: uro
  • date: 2012/01/11 AM12:08 (水)

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ご当地特産の八丁味噌を使った代表的なメニューの「田楽定食」。

 八丁味噌は一般的に”赤みそ”とか”赤だし”とか呼ばれます。”赤みそ”を日常的に食べる地域は今の行政区分では愛知、岐阜、三重の東海地方三県だといいます。なかでも八丁味噌(はっちょうみそ)はその代表選手。”赤みそ文化圏”で育った知人に聞いたら「まずはオカザキへ行ってミソ」と言われました。
 で、行ってみた。岡崎は愛知県の三河地区。徳川家康ゆかりの城下町です。現在、「八丁味噌」というブランド名で味噌を製造している会社は二社あります。ともに江戸時代初期から「八丁味噌」ブランドで赤みそを造り続けているそうです。そのエリアは、岡崎城から見ると西へ「八丁」の距離(約870m)の場所にルーツとなった醸造所があったのでその名が付いたとか。
 当地は、天然水に恵まれ、大豆がよく育ち、三河湾に面した吉良(きら)、一色(いっしき)などかつての製塩地帯にも近いという地の利を得て、味噌づくりのメッカになったようです。
 赤みそはわが国では珍しい部類の味噌です。何が珍しいかと言えば麹(こうじ)を使わないところ。ワタクシなどは西日本の出身なので味噌といえば米麹や麦麹を使った味噌が普通だと思って生きてきました。現在わが国では、いわゆる”こうじみそ”というのが圧倒的多数派なのです。それに対して八丁味噌などは別名、豆味噌(まめみそ)ともいわれます。
 味噌は豆類の大豆(だいず)などに麹(こうじ)という菌を加えて発酵させ、それに塩と水とを加えて熟成させて造られる食品です。味噌の歴史は古く紀元前にまでさかのぼれます。東南アジアや東アジアなど非常に広いエリアに存在します。中国の豆板醤(トウバンジャン)や朝鮮半島のコチュジャンなどは味噌の親戚です。おそらく、人類が”腐敗”と”発酵”という、似てはいるけどそれぞれ違う現象に気が付いたときに生まれた食品の一つでしょうね。
 わが国では今日、味噌というと味噌汁として食されることが多い。でも、そういう使われ方はせいぜい近世、つまり江戸時代以降の食し方にすぎません。味噌はもともとは保存のきく調味料として生み出されたもの。だから、肉や魚や野菜などの食材にそのまま塗りつけたり、焼いたり、煮込んだりして、多様に使われたものだと想像できます。
 八丁味噌の使われ方がまさにそれなのです。今や”名古屋メシ”として全国でも有名な味噌カツや味噌煮込みうどんのほか、上の写真のような豆腐料理の”田楽(でんがく)”、こんにゃくや牛の内臓を煮込んだ”どて煮”と呼ばれるメニューなどに多種多様に使われています。もともと味噌は”味噌だれ”とか”なめ味噌”的な使われ方が原点じゃないか、と思います。
 日本列島での味噌の起源は、室町時代とも、飛鳥・奈良時代とも、言われますが、それ以前にも、豆類を発酵させたものがすでに使われていたという説もあります。少なくとも、日本という国ができる前に、水田稲作文化をもたらした渡来人が、そういう発酵食品を造る技術を持ち込んでいた可能性が高いでしょうね。
 おむすびに味噌を塗り付けて焼いた”焼きおにぎり”の香ばしさと旨さは、<同じ食うならおいしく食べたい>と願ったであろう先人たちが生み出した傑作だと思います。(OのF)

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龍城神社の境内から岡崎城の天守閣を見上げて。

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