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「師長小橋」から

  • posted by: uro
  • date: 2011/11/26 AM12:05 (土)

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右側が「師長小橋(もろながこはし)」。赤い電車は名鉄電車。

 名古屋市を流れる山崎川(やまざきがわ)という川にかかる一つの橋がある。「もろながこはし」という。漢字では「師長小橋」。
 近所に住む人たちにとっては、日常の生活道の一部であるが、”自転車に乗って渡ってはいけません”という標識があるほど狭い橋だ。
 この橋の名前の由来になっているのが藤原師長(ふじわら・もろなが)という人物なのだが、歴史に興味のある人でも、どういう人か語れる人は何人いるだろうか?
 師長は今から約800年前の平安末期を生きた実在の人物ではある。その昔、権勢を誇った藤原摂関家の名門出。なにしろ、オヤジが藤原頼長(よりなが)で、祖父は藤原忠実(ただざね)だ。ときは、権謀術策好きの後白河法皇と平清盛率いる平氏政権との権力闘争の真っただ中。師長は、専制君主タイプの後白河法皇の取り巻きの一人で、太政大臣にまでなってはいたが、平清盛によって尾張の国へ配流された。41歳の頃らしい。ここまでは確かな歴史上の事実。「師長小橋」の近くにある稲荷社あたりに配流中の屋敷があったという。この付近は、今よりもっと内陸まで海が入り込んでいたはずだから、きっと潮騒なども聴こえたんじゃなかろうか。
 彼は、政治家としてよりも楽器の琵琶(びわ)の名手として知られた。去年、そのゆかりの琵琶「白菊(しらぎく)」が宮内庁に所蔵されていることが調査でわかった。琵琶は熱田神宮から尾張徳川家に伝わり、十四代藩主の徳川慶勝から、ときの孝明天皇に献上されたが、実は幕末動乱のなかで行方不明になっていたらしいのだ。地元新聞では「”幻の琵琶”白菊 150年ぶり里帰り」「尾張徳川ゆかりの名器」などとけっこう大きく報じていた。名古屋の徳川美術館では一般公開もされた。もちろん琵琶自体は師長が実際に愛用していたものではないだろうけど、デザインは昔の琵琶に近いもののようだった。
 やがて平清盛が亡くなり、源平争乱を経て平氏政権が倒れると、師長も京都に戻される。帰京にあたり、師長がその琵琶を当地の熱田神宮に奉納したという伝説が残る。また、配流中に身の回りの世話などをしていた土地の有力者の娘といい仲になり、帰京のとき、その娘に愛用の琵琶を記念に与えたとかいう”悲恋伝説”も伝わる。娘は師長との別れを悲しんで琵琶を抱いて入水自殺したとかしないとか、”悲恋伝説”の娘の子孫という方のインタビューまで地元新聞では報じていたりして、ちょっとした話題になった。
 ”悲恋伝説”については長い間に話に尾ひれが付くモノ。脚色をしすぎる傾向があるね。<伝説は歴史になりたがる…>という柳田國男(やなぎた・くにお)先生の戒めの言葉をかみしめるべきかも。
 師長の場合、”配流(はいる)”とか”流罪(るざい)”とかいっても、屋敷を与えられて愛人までつくってるんだから、後世イメージするようなどこかの牢屋とかに厳しく監視され幽閉されていたわけではなかろう。ヒマをもてあまして琵琶を掻き鳴らしてもいただろう。当時”三関”といわれた京都防衛ラインは鈴鹿(すずか)関・不破(ふわ)関・逢坂(おうさか)関で、それより東は”関東”と認識された時代だ。尾張の国もその一部で、中央の政争に敗れた要人の流罪先になるような辺境の地だったことがうかがえる。
 土地の人々は、漁撈仕事や畑仕事の合間に、珍しい都人(みやこびと)が奏でる楽器の、妙(たえ)なる音色(ねいろ)にしばし聴き惚れたことがあったかもしれない。「謫居趾(たっきょあと※)」のすぐそばを通っている幹線道の名前や地下鉄の駅名にもなっている「妙音通(みょうおんどおり)」というネーミングはそこからきているらしい。
 師長は1192年頃亡くなったらしい。後白河法皇が亡くなり、源頼朝が征夷大将軍となった頃だ。その少し前までは、奥州(今の東北)には独立国のような平泉政権があったし、律令制の古代国家は事実上解体していた。その一方で、武家の台頭が目立ってくる。保元の乱、平治の乱、源平争乱をたたかうなかで武士たちは目覚めた。武家はもはや上皇や天皇や王朝貴族に利用されるだけの存在ではなくなっていた。師長も、いわば、そういうひとつの時代の変わり目を生きた一人だったろう。
 師長小橋がかかっている場所から山崎川を北にさかのぼると、Jリーグの名古屋グランパスの第一ホームスタジアム、「瑞穂(みずほ)陸上競技場」がある。その目と鼻の先に閑静な住宅街がある。町の名に、彼の名前が付けられている。

※「謫居(たっきょ)」とは、国語辞典によれば「罪を犯した罰として遠方に流されてその地に住むこと。」だという。


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師長の名前が付けられた橋の近場にある稲荷社のなかに、「藤原師長謫居趾」の石碑が。

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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