内外海(うちとみ)半島側から小浜湾をのぞむ。
オバマ米大統領の来日で「オバマを勝手に応援する会」ゆかりの福井県小浜(おばま)市が注目されるというのも面白い現象だ。小浜(おばま)といえば某テレビ局の朝ドラ「ちりとてちん」の舞台にもなり、市内にはゆかりの案内板もある。
しかしながら、reki-tan的には、それだけでは小浜を語ったことにはならない。若狭(わかさ)の国・小浜は今でこそこじんまりした静かな港町だけど、わが国の首都が京都に置かれた時代には非常に栄えたところだった。のちに”塩の道”とか”鯖街道(さば・かいどう)”とかよばれる物流ルートで都と直結していたのだ。今もそうだが京都に意外と近いのだ。
歴史的に見ても、北九州から山陰、北陸、奥羽エリアに及ぶ日本海交易ルートの重要拠点でもあった。今から600年前の応永十五年(1408年)の夏のこと。室町時代の初めだ。一隻の巨大で異様な船がこの小浜港に入港してきた。当時、わが国屈指の国際交易港で、昔から中国などからの大型交易船などは見慣れているはずのこの町の人々も驚くような異様な船だったという。この船の持主は、わが国で当時”南蛮(なんばん)”とよばれた東南アジアのいずれかの勢力であり、「亜烈進」卿と名乗る人物から日本国王あての公式文書を携えていた。「日本国王」とは、時の室町幕府将軍のことだ。このエピソードはいろんな歴史概説書で取り上げられている。彼らは港の問丸(といまる。物資の管理や中継取引を仕事とする業者)を介して、黒象一頭、山馬一頭、孔雀(くじゃく)二対、鸚鵡(おうむ)二対など珍しい鳥獣や品々を日本国王に進物として贈りたいと申し出た。おそらく通商関係を持ちましょうというアプローチだろう。
中公文庫版の日本通史で永原慶二さんも注目し取り上げている。「亜烈進」というネーミングは明らかに当て字だ。永原さんは「おそらくアラジンとよぶのであろう」と言い、「ある意見では、それはパレンバンによった華僑の頭目であるとみており、またジャワからのものとみる考えもある」と紹介している。アジアではキリスト教よりイスラム教の伝来の方が早かった。これは僕の想像だけど、何らかの事情で母国を捨てた中国人商人が「アラジン」という一見イスラム風の名前を自称するというのもうなずける。船は中国のジャンク船を先進のイスラム造船技術で改良したものだったろうか? …今のインドネシアなど東南アジア島嶼部(とうしょぶ)に栄えていた「港市国家(こうしこっか)」の、いずれかの有力者が送った交易船だと、僕も思う。しかも、時の室町将軍あての国書まで持参しており、たまたまの漂着ではない。この巨船来航ひとつみても、当時、小浜という港が東ユーラシア規模で広く知られていたということがわかる。日本海側は決して”裏”などではなかったのだ。明治以降、自分たちのルーツであるアジアに背を向けてきただけなのだ。
「蘇洞門(そとも)めぐり」の遊覧船が行く。


