「祖谷」と書いて「いや」と読ませる。”四国の背骨”ともいわれ、現在の徳島県と高知県の境目の山深い渓谷に位置する。行政上は徳島県に属する。1000m前後から1900mクラスの剣山(つるぎさん)までの険しい山間部が連なっている地域だ。
今から824年前、屋島(やしま)の合戦で敗れた平家方の、一部のグループが源氏方の追及を逃れ、やがて土着したという土地の一つとして有名だ。世間には、伝承で”平家落人ゆかりの里”を自称するところは全国にワンサカある。そのほとんどは自分たちの祖先をいわゆる”貴種”に結び付けたいためのウソが多い。しかし。一概にウソでかたずけられないところもある。祖谷(いや)もそのひとつだ。理由? 自分の足で歩き回っての直観だ。(安徳天皇がここに連れられてきたかどうかは疑問だが)
現在でも、この土地にたどりつくのはひと苦労だ。車やバイクで祖谷(いや)に行く唯一のルートは国道439号線である。昭文社発行のバイク用ツーリングマップには、愛称”よさく(439)”とある。狭くてブラインドのコーナーが多いので対向車に要注意だ。
しかしまあ、源氏と平家の確執は”貴族階級”に代わる新興勢力同士の単なる内輪もめとは思えない。ヤマト政権成立にも関わる、永く深い因縁がある。それを明らかにするためには日本列島の枠内で考えていたら話にならない。カギを握っているのは「日本」が誕生する前。紀元後300年代~600年代の東アジア、とくに朝鮮半島情勢だ。源氏と平家のルーツについては、ヤマト政権をつくった人々同様、多くの人たちが薄々感じている真実が明らかになる日がきっと来る。reki-tanでもいずれ触れる機会があるだろう。
通称”奥祖谷かずら橋”。この吊り橋の材料は昔からこのあたりに自生しているシラクチカズラの蔓(つる)だ。現在はワイヤー等で補強してある。男橋(おばし)と女橋(めばし)があって、写真は”男橋”。
山並みはるか。京柱峠方面を見る。峠の向こう側は高知県。約800年前、平家人たちもこの風景を見たのだろうか…


