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四国・屋島(やしま)を訪ねて

  • posted by: uro
  • date: 2009/10/03 AM 1:41 (土)

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”屋根”の形に見えるからその名前がついたらしい。なるほどね~。庵治(あじ)の港から屋島の北端、”長崎ノ鼻”を望む。

 数年前に訪れたときに撮影した四国の屋島(やしま)じゃ。うどんの旨い讃岐(さぬき)の国。現在の香川県高松市。屋島は、かつて赤間が関(現・下関)の彦島、安芸の宮島などとともに瀬戸内海を制した平家水軍の重要拠点だった。今の神戸港のもとを築き、中国との交易を繁盛させたのは平清盛の最大の功績だろう。その在世中は、北九州の松浦党(まつらとう)や瀬戸内・紀伊・熊野の海賊衆を傘下にたばね、瀬戸内海は東アジア世界とつながる交流の盛んな海域だった。そして、古典『平家物語』でも知られる源平合戦の舞台になったところでもある。
 吉川英治さんも『新・平家物語』を書くために取材旅行で訪れて滞在している。吉川本の平家物語がさすがだと思うのは、後世の政治的な作為に振り回されずに、勝者側からの一方的な記述ではないということ。清盛像も、戦前戦中の歴史教育で浸透した”極悪非道の悪役”ではなく、ひとりの人間、一人の政治家として描いている。また、戦前戦中は書けなかった後白河法皇を含めた朝廷内部の策動もしっかりおさえている。「一ノ谷」から「屋島」に至る展開も合戦オンリーの記述ではなく、屋島平家の本陣側から見た「一ノ谷」合戦から「屋島」合戦に至るまでを想像力と整合性を交えながら再現してくれている。むろん、「これも創作の一つとして」と読者に断りながら。「しかし古典よりはぼくの小説の方がずっと真実に近いもの」「歴史の空白を埋めるのは文芸」という自負を持って書いている。そうだ。それが歴史小説の醍醐味だし、歴史作家の心意気だろう。もともと古典『平家物語』じたいが琵琶(びわ)という楽器の演奏にのせて歌われた創作だ。今でいえば弾き語りのストリートライヴで世間に広まっていったものだ。僕らが味わうときは、”これも吉川さんの作品。中身は歴史そのままではないこと”を肝に銘じる必要がある。それは古事記や日本書紀と事情は同じだ。
 吉川さんは取材紀行のとき「屋島寺(やしまでら)」を訪れたという。その紀行文の一節。(以下、講談社文庫『随筆 新平家』に収められた「新・平家今昔紀行」より抜粋させていただいた。)
 「もし花おぼろな春の夜でも、ここの黒い柱によりかかって、屋島の浦曲(うらわ)の波音を耳に、うとりうとり居眠りでもしていたら、夢に、平家の人々が語りかけてくるかもしれない。源氏の矢響きの下に、建礼門院やあまたの女房たちのすすり泣きを聞くかもしれない。」
 昔、四国ツーリングに行ったとき。屋島が見える浜辺でこっそり野宿したことがあった。その頃は歴史にさして興味もなかった。もし、合戦で命を落とした多くの白骨が眠るそうしたゆかりの地だと知っていたら、ノーテンキに野宿はできなかったかも…
 それとも、秋の夜長は超大作でも読むべ、な~んていうスケベゴコロがわいてくるだろうか!?

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屋島ドライブウェイで頂上へ。「談古嶺(だんこれい)」と呼ばれる展望台から庵治漁港(あじぎょこう)のほうを見下ろす。写真右手のほうに、その昔、平家の水軍基地、つまり”船隠し”や安徳天皇の仮御所があったようです。かなたの陸地は小豆島(しょうどしま)。

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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