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若き日の柳田國男も歩いたぜ

  • posted by: uro
  • date: 2009/08/30 AM12:21 (日)

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向う正面のモッコリ小山が伊良湖岬。その手前に広がる浜辺は、今は「恋路ケ浜」なんて粋な名前が付いている。

 伊良湖と今は表記してるが読みは「イラゴ」でも「イラコ」でもかまわない。はじめに言葉ありき。発音に漢字を当てた当て字だ。伊良湖岬は愛知県の渥美半島の先っぽにある。渥美は「あつみ」と呼ぶが、もともと「アヅミ」が訛(なま)ってできた言葉だという。信州・安曇野(あづみの)、滋賀県の安曇川(あどがわ)、温泉郷で有名な熱海(あたみ)などと同じルーツを持つとされる地名だ。「アヅミ族」という古代海洋民に由来しているという。
 我々「日本人」の祖先の一つらしい。列島先住民を駆逐してヤマト政権をつくった人々が北方ツングース系のにおいが濃いとすれば、「アヅミ族」などの海洋民は南方系モンゴロイドのにおいがする。
 彼らの故郷はどこだろうか? 今でいうポリネシアやインドネシアなど東南アジア島嶼部(とうしょぶ)や南太平洋あたりだろうか? それとも、中国南部の沿海部、「江南」と呼ばれる地域だろうか? 古代船の航海能力を考えると、季節風や潮の流れを読んでやってきたことは確かだ。
 わが国には今も「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」という言葉が根強く残っている。紀元前の中国大陸で「春秋戦国時代」と呼ばれる時代があった。その動乱のなかで滅びた国々の遺民たちが新天地を求めて船団を組んで列島側にのがれてきたという説は現実味がある。少なくとも「日本人は単一民族」という偽説よりはずっと説得力がある。「呉(※)」や「越」の民は、同じ中国大陸でも華北の人々から「倭人(わじん)」と呼ばれた。内乱は難民や移民を多数生みだすという事実はいつの世も変わらない。ましてや紀元前の何百年も前、列島側に統一国家などなかったはずだからなおさらだ。
 さて。今から110年以上前の明治30年、東京から夏休みを利用してこの地の網元の家に一カ月ほど滞在した学生がいた。名前を柳田國男(やなぎた・くにお)という。のちに「柳田民俗学」といわれ、わが国における民俗学の創始者だ。彼は学生の頃、この浜辺(上の写真)を散策中にヤシの実をいくつか見つけた。ヤシは日本の領域では実がならない。どこか南方から漂着したものに違いない。
 彼はその若き日の体験を何十年も自分の思索のなかで発酵させた。その結果生み出したのが晩年の労作『海上の道(かいじょうのみち)』である。今でも民俗学の古典といわれ、文庫本で手軽に手に入る(岩波文庫)。
 古代、こういうところに漂着したのはヤシの実ばかりではあるまい…と柳田國男は考えた。そして、その南方系の人々こそが列島に根を下ろし、稲作文化をもたらした日本人の祖先だと想定した。しかし。稲作文化を持っている以上、彼らは船を家とした南方系の海洋民ではあるまい。高度な稲作文化を持ちながらも、故地を追われ、新天地を求めた人々だったに違いない。海を眺めるたびに僕はそう思う。

(※)映画『レッドクリフ』で有名な「三国志」に出てくる「呉」とは時代が違います。

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