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七夕コミュニティ

  • posted by: uro
  • date: 2009/07/16 PM 1:29 (木)

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 七夕(たなばた)という風習は日本独自のものじゃない。牽牛と織女のラブストーリーは東アジア各地域に広く伝わっている。わが国の場合は朝鮮半島の「七夕(チルソク)迎え」の系統らしい。子供の名前を木綿の切れ端に記して風になびかせ、子供の無事成長を願うという。
 七夕(チルソク)という名称の由来は旧暦の「七月七日の夕べ」の略。最近、日本では英文で「star festival」などと名づけて夏のイベントとしている地域もある。七夕祭りは別名「星祭り」ともいうから、あながちはずしてはいないかも。でも、時期は近代以降の新暦でとらえてはダメだ。新暦の七月七日じゃ梅雨まっただ中。牽牛と織女も出会えない。日本三大七夕祭りの仙台などではちゃんと旧暦でとらえて催している。
 今からちょうど1600年前に築造された古代朝鮮の高句麗王朝時代の壁画古墳には七夕伝説のワンシーンが描かれている。牽牛と織女が天の川をはさんでつかの間の逢瀬の後の別れを惜しんでいる。その何百年もあと、わが国では万葉集が編纂されるが、その七夕伝説をモチーフにした作品がワンサカ出ている。
 高句麗王朝の最盛期を用意した、あの広開土王(クワンゲトワン)が永楽王(ヨンナンワン)として在位中の頃。かの国には「日者(イルジャ)と呼ばれる天文観測の専門家集団がいて、天空や星の動きを記録し、そこから導き出された法則を五穀などの作物づくりに活用していたという。南米ナスカの地上絵の制作意図を彷彿とさせるではないか。永楽王が在位していたのは西暦でいう391年から413年まで。当時、交流の盛んだった「倭(ウェ)」と呼ばれた地域にも移住者によって伝わっていたはずだ。
 「七夕伝説」や「天の川伝承」というのは単なる気分的なものじゃない。命の源である大地の実りをいかに効率よく育て収穫するか、が目的だったと思う。いくら文明が発達しても、食べることが人類にとって一番大切だ。
 そして、七夕を祝う心は五穀豊穣、人に置き換えれば子孫繁栄につながっている。子に孫に恵まれ、平和に過ごしたいと願う心に国境などない。自分たちと違う人々を傷つけたり排除したりする思想とは相いれない。それが七夕を祝う心だ。
 この機会に万葉集でも見直してみたらいかが? 気に入った一首でも見つけたら幸い。祖先のルーツや思いに想像力をはばたかせてみるのもいい。

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

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