『もう一度観たくなる『海峡をつなぐ光』 孵化編―玉虫と少女と日韓歴史ロマン』海峡をつなぐ光製作委員会
わが国最古の工芸品として知られる奈良・法隆寺の「玉虫厨子(たまむしのずし)」。そして、韓国・慶州(キョンジュ)の新羅(シンラ)王朝ゆかりの古墳(こふん)、皇南大塚(ファンナムデジョン)から出土した「玉虫馬具(たまむしのばぐ)」。この二つの歴史遺産は、ほぼ同じ時期に、工芸家、蒔絵師(まきえし)、彫師(ほりし)、宮大工、建築士など、それぞれの国の職人たちによって復元された。
この本のもとになっているのは『海峡をつなぐ光』という日韓合作の記録映画だ。それができたきっかけは、「玉虫馬具」復元のいきさつを記録したTV番組を制作した韓国の放送局プロデューサーが、日本側の玉虫厨子の復元作業とその復刻版が完成するまでの記録映画を観て、”玉虫をテーマにした記録映画をいっしょに作りませんか”という提案だったという。
「玉虫厨子」は推古女帝が拝んでいたという仏具であり、作られたのは7世紀中頃。一方、韓国の慶州で発掘された「玉虫馬具」はそれより200年ほど前に作られたものだった。製作年代に時間差はあるが、ともに、透かし彫り金具の下に玉虫の翅(はね)を敷き詰めたり、接着剤に漆(うるし)を使ったり、金具部分のデザインにパルメット(唐草模様)を採用していたり、と技法が共通している。
シルクロードの東アジア側の交易国家だった新羅が列島にもたらした文化の一つだったろう。玉虫は朝鮮半島と日本列島を結びつける”歴史の証言者”となったわけだ。日本側のプロデューサーとして尽力された益田裕美子(ますだ・ゆみこ)さんもその著書(※)でこう言っている。「目に見えない、天からの使命のような波動を感じた」と。
僕はこの映画を観て一番驚いたのは慶州(キョンジュ)での馬具の発掘当時の映像だった。この馬具が副葬品として埋葬されたのは5世紀中頃。約1500年もたっているので金属部分の腐食は激しいが、装飾に使われている玉虫の翅(はね)はハッキリそれとわかることだった。
しかし玉虫は温暖な地域に棲む。寒冷な朝鮮半島には昔から玉虫は少なかったという。古代朝鮮の人々はどこから大量の玉虫を調達したのだろうか?
この馬具、しかもその一部である鞍(くら)の背もたれ部分を複製するだけでも、何千匹という数の玉虫が必要だった。その玉虫の翅の多くは静岡県在住の玉虫研究家が無償で韓国側に提供しているのだ。近年まれないい話だと、僕は素直に感動した。それこそ本物の国際交流じゃないかと。
この作品を観て感じたのは、国を越えた同じ人と人としてのつながりこそが、このような一大プロジェクトを成し遂げる原動力になったことだ。
(※)『3億5千万円を集めた主婦は、世界をつなぐ映画プロデューサー 娘とイランと玉虫厨子』著者・益田裕美子、河出書房新社(C)2010
『歴探おススメ本』のエントリ
- 『被差別の食卓』(新潮新書)上原善広(うえはら・よしひろ)著、新潮社(C)2005
- 小説『海嶺(かいれい)』(角川文庫)三浦綾子・著
- 『随筆 新平家』(講談社文庫)吉川英治・著、吉川文子(C)1990
- 『もう一度観たくなる「海峡をつなぐ光」孵化編』海峡をつなぐ光製作委員会・著、(株)平成プロジェクト・監修、知玄舎(C)2011
- 小説『李藝 最初の朝鮮通信使』金住則行(かなずみ・のりゆき)・著 河出書房新社(C)2011
- 『琉球王国 - 東アジアのコーナーストーン』(講談社選書メチエ)赤嶺 守(あかみね・まもる)・著 講談社(C)2004
- 『日本人はなにを食べてきたか』(角川ソフィア文庫)原田信男(はらだ・のぶを)・著、角川学芸出版(C)2010
- 『正倉院の謎』(新人物文庫)由水 常雄(よしみず・つねお)・著、新人物往来社(C)2011
- 『食べる』西江雅之(にしえ・まさゆき)・著、青土社(C)2010



