クリップ画像 delicious! newsing! buzzurlにブックマーク! Yahoo!ブックマーク ライブドア - この記事をクリップ! このエントリーを含むはてなブックマーク

『ローマ文化王国 新羅』由水常雄・著(新潮社)

  • posted by: uro
  • date: 2010/03/07 PM 9:32 (日)

『ローマ文化王国‐新羅』由水 常雄

 「新羅(シンラ)」は、かつて朝鮮半島で栄えた国の国号であるが、のちのわが国と非常に深い関わりがある国である。『日本書紀』などのなかでは、まるで敵(かたき)のような存在に描かれたり、ヤマト政権の武力に屈して臣下の礼をとっていた国みたく描かれている。しかし史実はまったく異なる。それは、『書紀』を書かせたヤマト政権上層部が、新羅(シンラ)に滅ぼされた国々、つまり伽耶(カヤ)諸国や百済(クダラ。ペクチェ)などからの亡命者によって成り立っていたからだろう。
 7世紀後半、新羅(シンラ)は唐と連合して百済を滅ぼした。白村江(ペクチョンガン、現・錦江(クムガン))の戦い以後、朝鮮半島は新羅(シンラ)によって統一された。やがて唐の政治干渉をも排除してからは、同じく律令国家を目指しはじめた新興国・日本と人、モノ、文化の交流は盛んだった。新羅というと鮮やかな加工石(いわゆる「勾玉(まがたま)」)をちりばめた黄金製の王冠が有名だ。わが国の古墳で出土する馬具やアクセサリー類は新羅の人々がもたらしたものだろう。列島にはもともといなかった馬や乗馬の習慣も、新羅(シンラ)からの移民がもたらしたものかも。
 遣唐使だって、あいだに新羅の通訳が介在して成り立っていたし、”正倉院の宝物”といわれる品々は、シルクロードを経由して新羅からわが国にもたらされたものが多い。新羅のユーラシア規模の交易活動のたまもの、といっていい。
 比叡山延暦寺の第三代座主になった円仁(えんにん)も、新羅と縁の深い一人だ。『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』という彼自身が記した9年3か月の記録によって現代人も知ることができる。彼の”仏法を学ぶ修行の旅”は、唐の時代、中国各地にあった新羅人の居留地「新羅坊(シルラバン)」のサポートがあってこそ成し遂げられたものだ。円仁(えんにん)はこの旅で大きく成長して日本に戻り仏教界に貢献する。その端緒の運命的な出会いでお世話になったのが、山東半島の港町にあった赤山法華院(チョクサン・ポプファウォン)という寺だ。それは、わが国のテレビでも放映された韓国の歴史ドラマ『海神(ヘシン)』の主人公、チャン・ポゴがスポンサーになって建てた寺だった。
 新羅(シンラ)は、朝鮮史でいう三国時代、高句麗(コグリョ)や百済(クダラ)と比べて文化水準が劣るというイメージで見られがちだったが、史実はそれがのちにつくられたイメージにすぎないことを証明している。著者はそれをユーラシア規模で検証し実証してみせている。日本文化のなかには、かつて朝鮮半島で栄えた国々の文化が根強く生きている。そういえば、関東に根付いた源氏のひとりに新羅三郎義光(しんら・さぶろう・よしみつ)ってのもいたねえ。倭読みで「しらぎ」とは読まず正確に「シンラ」と朝鮮語読みで名乗っている。そのルーツをアピールしているわけだ。「舎人(とねり)」や「北面の武士」などに採用された東国武士の気風のなかに、新羅(シンラ)の精鋭騎馬隊「花郎(ファラン)」の面影を、僕などは見るのだが、いかが!? 関心のある人は調べてみると面白いぜよ。(OのF)

歴史とは歴史はたんなる昔の出来事ではない。現在と将来につながっているものだ。今とこれからのためになるものだ。当サイトの姿勢でありたい。

管理人: uro
メール: uro (at) reki-tan.com
お問い合わせフォーム
リンクはご自由にどうぞ。

管理人プロフィール

最近のエントリ

PHOTOS

バックナンバー

LINKS